浮世水草社

無限無責任社員1名の公開結社です

後ろの正面だ〜ぁれ?物部氏の呪い〘信濃諏訪ミステリー〙①

日本てのも古代からなかなかにカルトです。

 

物部氏家紋 梶の葉紋

物部氏家紋 千木堅魚木紋

諏訪大社物部氏家紋

神長官守矢氏家紋(物部守屋末裔)

イエズス会ザビエルが驚愕した、島津氏家紋(秦氏)

ケルト十字

グノーシス主義太陽クロス

諏訪氏家紋 梶の葉と鶴丸

埼玉、高麗神社(高句麗)の鶴丸

埼玉、高麗神社(高句麗)の鳳凰(フェニックス)

秦氏後裔、長宗我部氏家紋

ケルトキリスト教(ドルイド)のシャムロック(三つ葉)

ケルト緑のトリスケリオン

三つ巴紋(物部氏賀茂氏秦氏)

マン島紋章三脚巴。三脚巴はケルト人が使った太陽を象徴する紋章(サントリスケリオン)。

サントリスケリオン

八咫烏

ついでに

百済王子扶余豊璋の弟、善光王子の長野県善光寺の紋章

徳川家紋章

賀茂氏紋章

金官伽耶王や新羅の功臣を輩出した名門、金海金氏(金官伽耶王の王妃はインド、アショカ王の血脈)の双魚文様紋章。

新羅王朝、密陽朴氏紋章。ひょうたんの断面。

「(事件前日)24日の夕方6時半ごろに、私が勤務先から帰宅していると、政憲容疑者と3人組の男性が事件現場となったあの家の玄関先の路上で話し込んでいるのを見かけました。最初は相談ごとかと思ったら、政憲容疑者は一方的に怒っていて、揉めているようでした。」

↑長野県中野市の事件から2ヶ月程が過ぎました。この記事の、この一文。やはり陰謀論好きとしては複数人による計画的犯行だったのではないかとこだわってしまいます。

「3人組」←これが重要なヒントになりました。

※3はケルトの聖なる数字。

警察国家への布石でしょうか?と言いますのも、長野県が物部氏の里であるからです。物部氏は神官だけでなく、朝廷の軍事も管掌していました。

というわけで、今回もこじつけ陰謀論ファンタジーです。歴史上の出来事には様々な説があり、これまで信じていた事が覆されるなど、頭がクラクラしました。謎ばかりですが独断と偏見でまとめさせて頂きました。今回も相変わらずケルトバスクユダヤです。(参照させて頂いたブログは最後に並べさせて頂きました。)

不審な凶悪事件や外国人の闘争事件、台湾有事など日々悪化し続ける日本の治安情勢。いよいよ警察や自衛隊(軍)の体制が強化される日も近いのではないでしょうか。現状を鑑みますと、警察や軍の体制が強化されたならば、外国人に味方する形で、より日本人への取締りが厳しくなると思います。

 

まずは、事件の関係者の苗字などから勝手に連想させて頂きます。

・加害者:青木氏(清和源氏新羅三郎源義光の後裔)

・被害者:竹内氏(蘇我氏の祖、武内宿禰)

・被害者:村上氏(古代信濃村上氏、高句麗から信濃に渡来した人々に与えられた姓。及び清和源氏信濃村上氏。)

・被害者:中野市の事件に駆り出された長野県警警察官2名。(長野県:長野氏、諏訪氏物部氏と縁が深い。中野:旧陸軍中野学校創設者岩畔豪雄。統制派、岩畔氏は物部氏と縁の深い百済人が渡来した広島、倉橋島出身)

 

新羅高句麗百済

八幡太郎源義家秦氏

 賀茂次郎源義綱賀茂氏

 新羅三郎源義光新羅物部氏

・↑の三兄弟、父方は源氏、母方は平氏 

・源氏と朝鮮半島、中国大陸との関係

・宿敵、蘇我氏への脅し

※岸田氏は蘇我氏系列です。

物部氏復活=全体主義警察・軍事国家体制強化

など、日本の歴史を大きく動かしてきたキーワードが読み取れるかと思います。

 

事件現場の北方に山の神古墳。この古墳は長野県諏訪市にある、諏訪地方最古の古墳、フネ古墳と同型(方墳)同時期の古墳です。

また、事件現場のすぐ下にある江部神社。この神社では、諏訪大社と同じく御柱祭が行われます。

フネ古墳は諏訪大社御神体といわれる守屋山麓にあります。その近くには神長官守矢史料館(守矢氏=物部守屋末裔)と諏訪大社上社もあります。守屋山には物部守屋神社があり、山頂には守屋神社奥宮。守屋山はホッサマグナが交差するパワースポットですね。

諏訪大社上社は、諏訪氏と守矢氏の神職二重体制です。諏訪大社縄文時代からある日本最古の神社といわれますね。

事件現場の南には、猿田彦大神の供養塔。

猿田彦大神=天照国照彦天火明尊(海部氏の祖)=饒速日命(物部氏の祖)=蛇神

中野市でも物部氏の支配の強さが感じられます。

 

〘 諏訪大社物部氏の宗教 〙

旧約聖書ユダヤ教との関連?〉

物部守屋物部氏といえば、神武天皇が日本にやって来る前の古代縄文時代に渡来して来たと思われる民。諏訪大社御頭祭と旧約聖書アブラハムとイサクの物語との共通点は有名です。アブラハムが神の命令通り、子供のイサクを生贄にしようとするのを、「ゴメンゴメンドッキリだから」と神に止められ、代りに羊を捧げたという話ですね。

ユダヤ人モーゼの兄であるアロン直系子孫、元駐日イスラエル大使エリ・コーヘン氏も調査に訪れていました。守屋山はモリヤ山であると。

ですが、ユダヤにばかり注目すると何も見えなくなってしまいます。ユダヤは何かを隠す煙幕や汚れ仕事をになっているように思われますから。

神長官守矢史料館のしおりには、かつて子供の生贄は殺されていたが、時代が下るにつれ、生贄役の子供は開放されるようになったとの記載があります。徐々に、人間の生贄がやりづらくなったのですね。この後年の実情を旧約聖書関連論者に利用されたのか?それとも諏訪大社側が旧約聖書を利用したのでしょうか?

ですから、諏訪大社御頭祭と旧約聖書のイサク生贄関連話はデマですね。

語呂合わせ日ユ同祖論者の佐伯好郎氏は晩年、「ユダヤ大資本を日本に導入する為の計画だった」と白状しています。河豚計画ですね。

また、日ユ同祖論を最初に提唱した人はニコラス・マクロードというスコットランド人でした。マクロード名はおもいっきりケルト人名です。韓国では韓ユ同祖論を提唱していました。それならば「日韓ユ同祖論」にすれば良いのに、何か変ですね。ユダヤ人ではないのに何故そんなに必死だったのでしょうか?日韓にまたがるケルトの痕跡を隠したかったのでしょうか。

 

 

〈インド、バラモン教ヒンドゥー教との関連〉

インド、ヒンドゥー教でモリヤはガネーシャを崇め奉る言葉。インド南部タミル語は日本語と良く似ているそうです。

諏訪→スワ→シワ→シヴァ神

大黒天=建御名方神の父親、大国主命=破壊の神、シヴァ神の化身マハーカーラ神。

弁才天=インドの創造神ブラフマー(梵天様)の妻、サラスヴァティー

ブラフマーブラフマンの男生形。

ブラフマンバラモン

バラモン=インドカースト最上位、司祭階級。父系遺伝子R1a。

ブラフマンケルトドルイド神官団。輪廻転生思想。

毘沙門天=戦の神クベーラ。

諏訪大社御柱祭=ネパールヒンドゥー教の祭り、インドラジャトラ祭。

ネパールの神が輪廻転生した生き神様の少女『クマリ』=古代諏訪地方、神長官守矢一族の子供の中から現人神を選びだし、一年間神として崇めたという記録。その子供はその年の祭祀の日に神の信託を与えられ、幼い命は供犠(生贄)としてモリヤ神の祭壇に供された。

守屋神社の本堂に収められているという石の棒=インドの寺院で必ず見られる『リンガ』。

洩矢神(守矢氏の祖)ミシャグジ=諏訪では蛇神である白蛇ソソウ神。

※インドでは蛇の出す声を『ソソウ』と表現する。

インドの蛇神『ナーガ』=諏訪湖から流れ出づる『天竜』。

タミル語で『ナーガ』=蛇、コブラ

ナーガ→長野県。

西ベンガル州バラモンラビンドラナート・タゴールの相貌。

なんだか日本古代貴人の髪型『みずら』みたいですね。↓画像は神武天皇

 

ケルトドルイドとの関連〉

神武天皇が入って来る前の縄文時代は、物部氏が日本を支配していたと思われます。画家の岡本太郎氏は、縄文土器の文様がケルトの文様に酷似すると指摘していました。

輪廻転生

ジェームズ・フレイザー著『金枝篇(二)』(永橋卓介訳, 岩波書店, 2004)第15章によれば、「紀元前三世紀にアジアに定住したケルト族の侵入者は、その新しい居住地にカシワの樹の礼拝を持ち込んで来たと見られる。」とあります。

ジェームズ・フレイザースコットランド人。金枝=ヤドリギ

紀元前三世紀は縄文後期、弥生初期。縄文土器はそれよりもっと古いので、紀元前三世紀以前にもケルトの先発隊が日本にやって来ていたのかもしれません。

物部守屋神社の三つ柏紋物部氏ケルトだったのか!?

九州の物部氏の子孫の方の伝承。「伽耶(加羅)の語源はガリ」。ガリヤ=ケルト。そして、3足烏はケルト民族のシンボルであり、太陽黒点を表すとの伝承もあるそうです…。

伽耶(加羅)は様々な小国を寄せ集めた国でした。その中でもとりわけ中心的存在だったのが、金海金氏首露王の国、金官伽倻です。首露王の妃はインド南部から船でやって来た海の民、アショカ王の末裔でした。DNA検査でも証明されたそうです。金氏は、勇猛な騎馬民族匈奴の末裔です(ケルトと同じ金の文化)。伽耶新羅に併合された後、金海金氏は排除される事無く新羅の功臣となります。新羅金氏と同族の匈奴だからです。

伽耶の隣には、古代日本の大切な機関、任那日本府があり、密接に連携していました。日本にとって大切な鉄の産地。

紀元前4世紀頃、平和な遊牧民族であった匈奴に騎馬技術を伝えたのは世界史上初の勇猛で残忍な騎馬民族スキタイでした。

スキタイの金の文化匈奴へ伝わりました。

多摩美術大学名誉教授 鶴岡 真弓氏によると、紀元前5世紀、黒海沿岸でケルトスキタイ接触していたとの事。

なんと、スキタイに鉄器文明、輪廻転生思想、神話などを伝えていたのはケルトだったのです。

上賀茂神社下鴨神社(賀茂氏)の二葉葵祭アイルランド(ケルト)のシャムロック、聖パトリック祭の共通点。その根底に流れる神話。物部氏の伝承、浦島太郎とケルトのオシーン伝説の共通点。

ケルト→スキタイ→匈奴高句麗新羅物部氏賀茂氏秦氏

団結と攻撃力が命の戦闘集団にとって輪廻転生思想はもってこいの思想だったはずです。「どうせ生まれ変われるから、おもいっきり行ってこい!」と言えば死をも恐れぬ戦闘集団になれます。

鶴岡 真弓氏

ロシアがスキタイのクローンをつくろうとしている…。

 

 

国立遺伝学研究所・斎藤成也教授によると、日本列島への「渡来の波は3回あった」ということです。

「(3回のうち) 第1波が後期旧石器時代から縄文時代の中期まで。第2波は縄文時代後晩期に訪れ、この渡来民は『海の民』(物部氏同族の海部氏?)だった可能性があり、日本語の祖語をもたらした人たちではないか」と推理しています。

第1波は陸伝いで朝鮮半島を通ってきた天神系八咫烏金鳥ケルトドルイド賀茂氏

第2波はインド南部タミル地方から東南アジア、中国大陸や朝鮮半島の沿岸伝いに海を渡って来た、バラモンと融合した地祇系ケルトドルイド海部氏物部氏だった可能性があるのでしょうか?

第3波は弥生中期、紀元前60〜70年頃に百済の前身、伯済国から養蚕技術を持ってやって来た天孫族天皇家?。

※ホツマツタエでは神武天皇即位は紀元前60年。一級建築士の長浜浩明氏の計算では紀元前70年。明治政府が勝手に決めた紀元前660年は盛りすぎです。百済が紀元660年に滅んでいるのでオマージュ的に紀元前660年にしたのでしょうか?

また、「日本語の祖語をもたらした人達」とありますが、日本語のルーツというのは、古代中国に存在した殷王朝→夫余→高句麗百済倭国・日本です。中国大陸から日本にかけて原日本人が支配していたわけです。(父系遺伝子D2。ケルトのR系遺伝子はD2に溶かされてしまったのか?)

その昔、百済倭国日本は通訳なしで会話ができたらしいです。関西弁は百済の言葉といわれますね。

新羅も日本語に近かったようですが、やがて挹婁・靺鞨、モンゴルや漢民族など異民族からの征服を受けて、現在の朝鮮語になったようです。(漢民族朝鮮民族の父系遺伝子はO2、O3)

人身御供(生け贄)の文化や鳳凰(フェニックス)も殷から伝わってきました。殷の支配者層は騎馬民族東夷です。東夷は匈奴を通してケルトの影響を受けていたと予測できます。殷王朝が滅んでからは、朝鮮半島や日本が東夷と呼ばれるようになりますが、偶然ではないのかもしれません。

 

1969(昭和44)年6月12日読売新聞に、天竜中流域の静岡県水窪町で、紀元前600年頃と推定される、文字が刻まれた石(水窪石)が発見されたと報じられました。

古代フェニキア文字で「バルーツ(女神)ガシヤン(男神)に奉る」と書かれているとの説が有力です。

水窪から天竜を源流まで遡ると、信濃国(長野県)諏訪湖があります。

↓横の翻訳の文章から凄い呪いを感じます。国譲り神話の通り天神(賀茂氏)と地祇(物部氏)の激突が実際にあり、地祇の建御名方(物部氏)が負けて信濃国の諏訪へ押し込められてしまったのでしょうか。

バルーツ=古代フェニキアの自然神バアルの女性形。

ガシアンは鳥(フェニックス)=主神。

フェニキアはフェニックス(鳳凰・不死鳥)が由来。

フェニキア人はバアル信仰子供の人身御供などの風習を持つ残忍な海賊で、他民族を人とも思わず、平気で拐って奴隷貿易をしていました。

イエズス会みたいですね。

アレキサンダー大王のフェニキア人の都市国家ティルス(現レバノン)攻略では、一般人に至るまで、大量殺戮されました。攻め落とした国家の他民族に敬意を払う、あの人格者アレキサンダー大王がここまでするなんて相当多くの人々から憎まれていたのですね。

フェニキアケルトの密接な関係…。水窪石のフェニキア文字は、フェニキア人によるものなのか?ケルトドルイドによるものなのか?…。

子供の人身御供…神長官…守矢氏…。

諏訪はユダヤというよりは、フェニキアとの関連がありそうですね。フェニキアケルト南インド

山口県萩市大島にペトログリフの石が見つかり、それがどうやらケルトドルイド神官団達が使っていたオガム文字らしいというので、証拠らしきものを検索したらこの方ブログしかありませんでした。隠蔽されてしまったようです…。

歴史がひっくり返る程の重大なものだったのでしょうか…。他の日本各地のペトログリフは公開されているのに…。しかし研究は進んでいません。

萩市と言えば萩藩(長州藩)。萩藩の長州ファイブがイギリスへ渡り、スコットランド達(ケルト系のマセソン商会など)の世話になりました。これは偶然なのでしょうか。

 

ガラス工芸家の由水常雄著『ローマ文化王国-新羅』(新潮社, 2001)によると、新羅古墳からの出土品「黄金剣、トンボ玉 ブレスレットなど、トラキアのローマ化したケルト族の王のもとに集約する。」とされます。また、三つ巴紋が入った6世紀の宝剣「嵌玉金装宝剣」も出土されています。

三つ巴紋といえば、物部氏賀茂氏秦氏ケルト

山本健造氏によって初めて文書で公開された、飛騨(長野県のお隣岐阜県)の伝承によると、シラギ教とは新羅の宗教であり、「人間よりも樹木の方が偉い」とする風変わりな宗教思想があったそうです。

これは、ケルトドルイド神官団が宿り木(ヤドリギ)の寄生した樫の木(オーク:ブナ科)を珍重していた事に由来するのではないでしょうか?神聖なる樫の木に宿りし別種の木を、神が宿る木(ヤドリギ)として金の鎌で慎重に切り落とし保管する。そして、神への返礼として生贄を捧げたといいます。

そして、諏訪大社御柱祭の前年に催される「薙鎌打ち神事」にも通じます。鶏の頭(フェニックス?)のような形の薙鎌を巨木に打ち込む事で御柱というご神木になります。

また、ケルトは天が空から落ちてくる事を何よりも恐れ、御柱祭のように大木を立てる風習がありました。

BC7世紀頃、中国の河南の杞国では天が落ちることを恐れて騒ぎが起こり、杞憂の語源になったと言われます。

杞国は殷王朝の前に存在した、夏王朝の王、禹氏の後裔。禹氏の後裔が倭人匈奴になりました。千葉茂原市には禹紋の法被を着る祭、黒戸の獅子舞があります。

ハンマー!カンマー!

物部守屋神社の柏の木もブナ科。柏の葉と梶の葉はその昔、食器として使われていました(梶はクワ科)。樫カシ→梶カジ?

梶の葉は源平合戦の時の、諏訪氏と源氏の結束の象徴。

 

雄鹿を神聖なる生贄として捧げ、猪を戦争のお守りにしていたというケルト

かつて鹿だけでなく、猪も奉っていた諏訪大社

 

そして、生け贄(人間)を炎で焚き上げる大切な儀式も共通します。諏訪、物部守屋後裔と言われる守矢一族の生け贄とも共通しますね。ゾロアスター教を思わせます。

ケルトドルイド教バラモン教ヒンドゥー教に共通する、輪廻転生思想と階級制度。この2本柱で全体主義的社会制度を保っていました。表向き平等を標榜するけれども、実際は階級社会な共産党と同じです。

 

ドルイド教ドルイド司祭階級>王族>戦士>技術者>庶民>奴隷

バラモン教:司祭階級バラモン>王族>庶民>奴隷>不可触民

 

そっくりな階級制度ですね。司祭階級が圧倒的な力を持ち、良い館に住んでいたわけです。実際は庶民も奴隷階級も同じようなものです。比較宗教学でもバラモンドルイドとされています。やはり、バラモン教ケルトドルイドの強い影響を受けているかもしれません。

スキタイは、紀元前2世紀から4世紀までインド・スキタイ王国をつくっていましたから。

ちなみにインド・スキタイ王国のサカ族は、お釈迦様の釈迦族と同族です。(お釈迦様は異端者でした)

 

天神系賀茂氏、地祇系物部氏は、ケルトドルイドバラモン教、そしてフェニキアの影響を強く受けた神官団だったのでしょうか。表向き、天皇には従っていましたが、心の中では、古くから日本で実権を握ってきた神官団である自分達の方が上だと思っていたはずです。実際、婚姻関係で天皇家を操っていましたから。

過去のブログ記事の通り、ケルトやインドの支配者層の神官団や王族の父系遺伝子はR系統遺伝子アーリア人です。ケルトはR1bでインドはR1aあるいはR1b2だと私は思っています。

 

〘 物部氏百済仏教を嫌った理由 〙

丁未の乱で、崇仏派の蘇我馬子が廃仏派の物部守屋を討ち取り物部氏を滅ぼした事件は有名です。この事件の4ヶ月前には廃仏派のお仲間、中臣勝海も討ち取られていますが、中臣氏(藤原氏)は滅ぼされませんでした。

百済から日本に伝わった大乗仏教というのは、無駄な殺生(生贄)を禁止し、不幸の根源である輪廻転生から脱却して仏になる為に善行を積もう(解脱)という宗教ですね。まるでバラモン教ドルイド教に挑戦状を叩きつけているかのようです。

輪廻転生も生贄制度も否定されては物部氏の面目丸潰れです。しかし、仏教導入以降、一応明治の王政復古まで天皇家は仏教と神道を並行して行っていました。大人しくしていれば神官としての立場は保障されたであろうと思われますし、物部氏百済とも縁が深いです。何故あれ程までに必死に仏教を否定したのでしょうか?

一方、蘇我氏としては、百済仏教導入により神道派で同族のライバル物部氏の力をを削ぐ事が出来るし、朝鮮半島からぞくぞくやって来る百済系渡来技術者集団を仏教で平和に取りまとめる事もできます(治安維持)。特に、騎馬民族系の渡来人神官団があちこちに爆誕し、無駄に権力を持ち、やたら生け贄騒ぎを起こされてしまっては困ってしまいますから。そして、やはり何と言っても、仏閣建設や仏像作成で商売が出来ます!ゼネコンも職人も大喜びです。渡来技術者も金で黙らせる事が出来ます。蘇我氏は冷静で非常に合理的だっと思われます。一石三鳥ですね。

百済からの渡来人と思われる武内宿禰の後裔、葛城氏や蘇我氏。葛城氏は百済王朝の王女を日本の天皇家に嫁がせる為の斡旋事業を行っていました。しかし蘇我氏はどんどん増加する百済人に忖度して仏教を導入したのに、白村江の戦い参戦には反対していました。白村江の戦いの前から百済新羅で小競り合いが何度かあったのですが、蘇我氏新羅へ使者を派遣し、戦争にならないように相談していました。蘇我氏は実は新羅寄りだったのです。葛城氏と蘇我氏は系譜をたどると賀茂氏(天神系)になります。

中臣氏(藤原氏)は蘇我氏が使者を新羅へ派遣している間に、裏切り的に突然大軍で新羅を急襲したりなど不意打ち作戦を決行していました。おそらく、中臣国子中臣鎌足あたりで百済人に背乗りされています。百済仏教を物部氏と共に嫌がる神官だったのに、急に極端な親百済、崇仏派になりましたからね。

 

では、物部氏(ケルトドルイドバラモン神道)カルト潰しの仏教は何処からやって来たのでしょうか?

今となっては砂漠に埋もれた謎の国、亀茲国(キジ/クチャ)です。(紀元前2世紀〜紀元11世紀)

紀元前1世紀頃から11世紀頃までタリム盆地に存在したオアシス国家。スキタイ系トハラ人(インドヨーロッパ語族)の国でした。王姓は白氏。中央アジアに位置し、匈奴や漢、突厥などに脅かされながらの国家運営でした。中央アジアですので、ケルト思想の息がかかった騎馬民族周辺国家を潰したかったのでしょうか。自分達も騎馬民族なのでケルトの威力を分かっていたはずです。国家潰しの道具としての仏教を育てる事は重要な国策であった可能性があります。仏教は輪廻転生や民族団結を拒否する究極の個人主義ですので、輪廻転生式全体主義的団結集団騎馬民族をぶち壊す事が出来ます。カルトにはカルトを。(破壊兵器仏教)

鳩摩羅什を始めとする大量の仏教僧を周辺国へばら撒き始めました。

周辺の騎馬民族国家は、他国との食い合いだけでなく、国内にも他民族(大量にいる漢民族など)を包含しており、常に政情不安定。さらに親族内でも殺し合い状態でしたから、常に精神病スレスレです。「仏教導入すれば強くなる」と言えば、簡単に騙す事ができたのです。

※農耕民漢民族の中国での国家は、漢、宋、明、現中華人民共和国くらいで意外と少ない。中国歴代国家は殆ど騎馬民族(支配者層のみ)です。ですので、漢民族匈奴から騎馬戦法を学びました。

 

亀茲の仏教は古代中国、朝鮮、日本の大乗仏教の祖です。この仏教を導入した国は軒並み短命で悲惨な最期を遂げました。

・仏図澄が入り込んだ「後趙」:319〜351年で滅亡。

・仏図澄の弟子、釈道安(弥勒信仰と仏教混ぜた人)が入り込んだ「前秦」:351〜394年で滅亡。

鳩摩羅什が入り込んだ「後秦」:384〜417年で滅亡。

鳩摩羅什の弟子、竺道生が入り込んだ「東晋」:317〜420年で滅亡。

※6世紀になりますが、突厥も謎の仏教僧が入ってすぐに、東西にわかれ、衰亡の一途をたどりました。

※仏図澄はグノーシス主義のシモン・マグスのような怪しげなインチキ魔術師でした。

 

物部氏や科野氏は6世紀前半から、百済へ官僚を送り込んでいましたから(倭系百済官僚)、これらの国々が短期間に滅んだ話は耳に入っていたのではではないでしょうか。だとすれば、本国日本の有力者、物部守屋にも話が伝わっていたはずです。「仏教を導入すれば国が倒れる」と本気で思ったかもしれません。

※科野氏は諏訪大社下社の神官。諏訪氏の祖。

東晋(鳩摩羅什)の仏教が百済へ、前秦の仏教(弥勒仏教白蓮社)が高句麗へ、高句麗の仏教が新羅へ伝わりました。

 

弥勒信仰と仏教を混ぜた前秦の釈道安。その弟子の慧遠が東晋でつくった白蓮社が、後に白蓮教となってカルト化し、中国歴代王朝を苦しめる事になりました。

明王朝の王、朱元璋は白蓮教のリーダーでしたが、皇帝に就いてから白蓮教を弾圧しました。

 

〘 物部守屋の子孫が逃げ込んだ信濃国 〙

朝廷で軍事を掌管していた物部守屋は馬の産地、信濃国を大切にしていました。同族の守矢氏もいますしね。馬は移動手段や軍の編成には必要不可欠なものです。良い馬を入手する為に、当時信濃国を支配していた多氏(皇族の親族であり、科野氏の祖)や、渡来系の同族長野氏へ多額の資金を提供していました。丁未の乱物部守屋が討ち取られた後、生き延びた物部氏一族は多氏や長野氏、守矢氏の援助を受け、信濃国へ逃げ込み、守屋山に物部守屋神社を建立したのではないかと考えられます。守矢氏物部守屋の次男、物部武麿を養子として迎い入れました。多氏は娘を、百済王子扶余豊璋へ嫁がせています。

 

信濃善光寺には、「守屋柱」と呼ばれる角柱が一本建てられています。一般公開はされていません。物部守屋の鎮魂の為、四天王寺からわざわざ移されたとの事です。善光寺を建てた本田善光は、百済王子扶余豊璋の弟、善光王子と考えられています。善光王子の血脈は藤原氏(中臣氏)や天皇家にも受け継がれています。

仏教導入に反発はしても、物部氏百済の縁の深さが感じられます。

丁未の乱の後、秦河勝は朝廷から信濃国に領地を与えられ、息子の秦広国を送り込んでいます。広国の子孫が土佐へ渡り長宗我部氏となりました。あの凄惨な事件の後に、物部氏と同族渡来人の秦氏を送り込むとはこれいかに?秦氏の権勢の強さが伺われます。

 

〘 新羅王朝は物部氏が造った? 〙

新羅本紀によれば、新羅には朴氏・昔氏・金氏の3姓の王系があり、それぞれ始祖説話を持ちますが、倭国または倭人との関連伝承が多くあります。

朴氏の始祖説話に登場する瓠公倭人であり、これが朴氏初代の朴赫居世ともいわれます。

昔氏の始祖説話において、倭国東北一千里のところにある多婆那国の王妃の子が脱解王です。「多婆那国」は一説に丹波国とも比定されています。

金氏始祖は、瓠公が金の箱の中から見つけた小さな男の子とあります。上記の通り金氏は匈奴です。

・日本側伝承では新羅の祖は鵜葺草葺不合命の子の稲飯命神武天皇の兄)だとされています。また昔氏の出生について、現在の兵庫県北部、熊本県北部、山口県中部等と推定されるが、時代を下ると、兵庫県豊岡周辺のアメノヒボコ伝承との関連が指摘されます。昔氏は現在の日本の但馬、丹波、肥後、周防のいずれかの地域から船で渡った倭人と見る向きが多く、その後、昔氏の末裔のアメノヒボコが日本に戻ったとされます。

※瓠公の瓠は、ひさご=ひょうたん。ひょうたんを腰に提げて海を渡って来た人という伝説。

 

丹波国の一宮である籠神社には「古代、この地から一人の日本人が新羅に渡って王様になった。」という伝説が残されています。

籠神社の御祭神は天火明命。海部氏の祖です。

天火明命饒速日命(物部氏の祖)。地祇系ですね。

記紀神話では天火明命が何故か天孫の瓊瓊杵命の兄とされますが、天神地祇の権勢を天孫のものとして無理矢理1つにした藤原氏による捏造だと思います。新羅昔氏の祖である稲飯命神武天皇の兄とされている事も、同様と考えられます。

元伊勢籠神社神門と本殿の物部氏、千木堅魚木紋。

籠神社内、猿田彦神社

籠神社の瓢箪(ひょうたん)池。

瓢箪=亀=籠目=六芒星

籠神社奥宮、眞名井神社。

あまりにも皆が六芒星を見に来るので、三つ巴紋に変更されてしまいました。

伊勢神宮六芒星

元伊勢籠神社奥宮、眞名井神社はその昔、吉佐宮と呼ばれていました。吉佐とは天の吉葛(あまのよさずら)の意味で、瓢箪の古い呼び名のことです。

籠神社の参道と言われる天橋立は、「続日本後紀」に「瓠葛の天の梯建」と記されます。

瓠=瓢箪。神社の参道である天橋立は瓢箪の蔓(つる)を意味するのです。

蔓(鶴)の付いた瓢箪。瓢箪の部分は亀とも呼ばれます。

瓢箪づくしの丹波国の籠神社。新羅王家、朴氏の祖である瓠公昔氏の祖は物部氏であったと考えるのが自然ではないでしょうか。そして、物部氏匈奴金氏新羅に招き入れたのです。

丁未の乱の時、物部守屋は討ち取られるまで朴の木(ホオノキ)に登って応戦しました。

物部守屋の長男とされる朴井雄君は親新羅派の天武天皇の元で活躍しました。

新羅の建国は紀元前57年とされます。神武天皇の実際の即位が紀元前70〜60年とすれば、紀元前80年頃から天孫族との国譲りバトルが繰り広げられていた可能性があり、保険をかける意味で物部氏新羅を建国したのではないでしょうか。百済を利用しつつ新羅有利に運ぶ両建て作戦。

と言いますのも、倭系百済官僚の動きがおかしいからです。倭系百済官僚の穗積押山(物部氏)は大伴氏と図って倭国任那4県を勝手に百済へ割譲してしまいました。一見百済に都合の良いように見えますが、これをきっかけとして伽耶新羅の金氏が結束してしまいます。この件で物部氏は大伴氏を朝廷から排除しますが、自分が主犯である事を誤魔化したのかもしれません。また、印支弥(出自不明の倭人)は百済官僚でありながら新羅と通じ、百済を攻撃させようとしました。印支弥は物部氏と通じていたのかもしれません。

 

〘 六芒星 〙

そして気になる六芒星ユダヤ人を表わす記号として定着したのは17世紀以降です。宮廷ユダヤ人富豪オッペンハイマー家がドイツのユダヤ人部隊を識別するためにイエズス会(バスク人)に考えてもらいました。

バスクケルトに操られるイスラエル

 

最古の六芒星は紀元前3000年のシュメールのレリーフにあります。

龍、六芒星、大地母神イナンナ、Queen of the underworld.王権を授与する暗闇の女王。影の王様ですね。世界は、かかあ天下というわけです。イナンナはシリウスからやって来たアヌンナキ(宇宙人)です。

シリウス=龍=籠目=六芒星=大地母神イナンナ

=エジプトの女神イシス

フェニキアの死と再生の女神アスタルテ

ギリシャの女神アプロディーテ

ギリシャの女神ヴィーナス

ケルトキリスト教地母神黒マリア

=インド、シヴァ神の妻で殺戮の女神カーリー

=インド、ブラフマー(梵天様)の妻サラスヴァティー

=弁財天

猿田彦大神(物部氏)の妻の天宇受売命(天神系=賀茂氏)

賀茂氏秦氏(秦氏賀茂氏系)が物部氏に王権を授与する。

饒速日命の妻の登美夜毘売(物部氏の祖になった夫婦)

 

また、アヌンナキのニンギシュジッタは猿田彦大神とされます。ニンギシュジッタは父エンキや母ニンフルサグと人類を創生した科学者でした。

ニンギシュジッタ=猿田彦大神=天火明尊(海部氏の祖)=饒速日命(物部氏の祖)=蛇神

聖徳太子シリウスの関係も知る人ぞ知る話ですね。隠蔽されるシリウス信仰。

 

シリウスに向かって飛べ!」胸元に海亀のような模様

 

そして、古代ケルトドルイドの生贄の儀式でも六芒星は使われていました。あの有名なハロウィンです。

ハロウィンの晩。ドルイド祭司達は貴族の館を回り「Trick or Treat」と声をかけます。生贄を出せということです。拒否すると、ドルイド祭司は引きずり回していた死体の血で玄関に六芒星を描き、その周りを円で囲みました。呪いをかけられた家からは死人が出ます。

生贄の人肉を食する事はドルイド祭司達にとって神聖な儀式でした。

イルミナティの人肉食(カニバリズム)ですね。フリーメイソンの上層部はスコットランド人と言われます。1800年代頃まではフリーメイソンユダヤ人が加入する事は禁止されていました。

カボチャの三角の目を組み合わせると六芒星

ところで、5月1日メーデーは古代ケルト人達が、女神とその子ベルを祝うベルテーンの祝祭日です。この日には、村娘の中から一人、女王が選ばれます。それをメイクイーンと言います。アイルランド人(ケルト人)にとって大切な食料であるイモの名前にもなっていますね。

ベルテーン=ベルの火

ベル=フェニキア人の信仰する最高神バアル

やはりケルトフェニキアです。

日本ではメーデーと言えば、赤旗左翼政党系の労組組織のデモやストライキが有名ですが、欧州ではそこにキリスト教系左翼の労組組織も緑の旗を持って加わるのです。緑と言えばケルト。カルト派閥のケルトキリスト教と左翼運動が一体となって動いている事は過去のブログで述べた通りです。

5月1日は現天皇陛下が即位された日でもあります。伊勢神宮は皇室の氏神天照大御神を祀る日本を代表する神社です。

戦後、皇室には大陸系や朝鮮半島系の左派的な妃が3人も入内しました。

元伊勢と呼ばれる籠神社。ケルトドルイドの影を感じる物部氏。カルトや左翼を使って皇室や日本を操っているのかもしれません。

 

アレイスター・クロウリー六芒星フリーメイソン黄金の夜明け団員だったクロウリーは、自らをアイルランド人(ケルト)の子孫と称し、アイルランド独立運動を支持していました。

 

 

〘 カゴメ歌 〙

カゴメカゴメ:生贄を拒否なら呪い殺す。

籠の中の鳥は:呪いの王者フェニックス(フェニキア人)。鳥居。神社の参道=産道。

いついつ出やる:いつでも産まれ出る用意は出来てる。

夜明けの晩に:日の出の直前。時代が代わる頃。

鶴と亀がすべった:ケルトフェニキア物部氏が滑るように出て来て統治するぞ。

後ろの正面だあれ:背後を気にして後ろを振り向く頃にはもう遅い。正面を良く見なさい。既に正面からも呪いをかけられているから。(後ろも正面も表裏一体)。

 

※不死鳥と言われるフェニックスですが、ガリア人(ケルト人)であったとされるコルネリアス・タキトゥスの説によれば、恒星シリウスが日の出の直前に昇る日とエジプトで新年の始まる日とが同じになる周期が1461年なので、フェニックスの寿命は1461年とあります。

 

右翼・保守・皇道派・仏教=藤原氏秦氏天皇家百済

右翼・神社本庁カルト=賀茂氏秦氏物部氏百済

左翼・統制派・カルト新興宗教賀茂氏物部氏秦氏蘇我氏新羅高句麗

 

百済(右翼)も新羅(左翼)も八咫烏三つ巴紋の掌の上

 

それでは次回に続きます。

1ヶ月後くらいになると思います。。

それでは!

(^ω^)丿丿"🐸丿丿"

 

・587年 丁未の乱

・642年 百済王子扶余豊璋と善光兄弟が倭国へ人質として渡来

・645年 乙巳の変

・655年 唐の武則天、皇后に即位(実権掌握)

・660年 百済滅亡

・660年 滅亡後の百済熊津都督府が置かれる

・663年 白村江の戦い

・666年 筑紫都督府が置かれる(太宰府)

・668年 高句麗滅亡

・668年 滅亡後の高句麗に安東都督府が置かれる

・668年 天智天皇即位

・670年 「新羅本紀」では、倭国が国号を日本と改めた、とある。

・672年 壬申の乱

・673年 天武天皇即位

・686年 天武天皇崩御

・689年 飛鳥浄御原令(天武天皇体制強化)

・690年 武則天自ら帝位に就き、国号を武周に改める。自らを弥勒菩薩の生まれ変わりと称する。

・690年 持統天皇即位(父:天智天皇)

・690年 藤原京建設開始

・701年 大宝律令施行

・701年 藤原不比等正三位大納言に昇進

・702年 持統天皇崩御

・705年 武則天崩御

・712年 古事記編纂

・720年 日本書紀編纂

 

↓以外のブログを参照させて頂きました。というより、ガッツリ引用させて頂きました。この他にWikipediaも無数に参照、引用させて頂きました。有難う御座いました。

 

神長官守矢史料館しおりについて。子供の生贄。

 

 

父系遺伝子D系を強調されてますが、私は被支配者層がD系で、支配者層はR系だと思っています。ケルトならR1b、インドならR1aとR1b2、チベットならR1b2です。

 

 

 

 

籠神社の伝説。「この地から海を渡った日本人が新羅王になった。」

 

匈奴とスキタイの接触 

 

スキタイとケルト接触

 

ケルト スキタイ 浦島太郎

 

賀茂神社葵祭ケルトのシャムロック、浦島太郎とオシーン伝説

 

秦氏新羅

 

水窪石の発見。殷、諏訪、フェニキアケルトなど。

 

水窪石の発見。フェニキアの呪文。

 

捏造聖書、ユダヤフェニキア

 

パンフレットを見ながら萩市大島のペトログリフをわざわざ探しに行ったのに見つからなかったとの事。

 

山口県萩市大島のケルトオガム文字の石

 

葛城氏による百済王女、天皇家への嫁やり事業

 

元伊勢籠神社

 

古代シュメール龍と六芒星

 

イナンナとニンギシュジッタ