浮世水草社

無限無責任社員1名の公開結社です

追記しときます (^_^;)🐸テヘケロ丿!

言葉足らずで申し訳ありません💦

 

日頃、閲覧数0から3のブログなのに。

前回アップから20人前後のお客様。

誠に有難うございます。

これは!

過疎ブログとしては画期的であると同時に、大変申し訳無く…。。

反省しております…。。

 

実家の諸々の問題など様々な見直し問題あり。

私は、すべてに器用に対応しきれないのであります。笑

それは、この世の多くの皆様が直面する出来事ですので、どうかご心配なさらず、生暖かくお見守り下さいませ。

まぁ…誹謗中傷的な方もいらっしゃると思いますが…笑

どうぞ仲間内で楽しんで下さいませ♪笑

 

落ち着きましたら…。

そうですね~。

 

ケルトなんか…。

そもそも島ケルトなんか!存在しないのに…。

存在している体で!!

あいつら。好き放題している問題からですかね。

 

他にも色々やりたいですけど…。

 

落ち着いたら!!

集中してやりますので!!

 

その際には!

また何卒よろしくお願いしますm(_ _)m

 

ですが…あまり…

私の与太話など…

真に受けないで下さい…(^_^;)

 

日々刻々と情勢が急激に変化しております。

皆様。どうか賢明な判断をなさり、生き残り下さいませ!!

 

それでは!

(^ω^)丿丿"🐸丿丿"

ブレジンスキーの本音〘気になる台湾有事・オランダも参戦?〙

あまり、考えがまとまっていませんが、とりあえず妄想こじつけ陰謀論ファンタジーしてみる事にしました。

 5月中旬、モンゴルと北朝鮮に呼び出された日本。

 

日本が呼び出された報道の直後に、北朝鮮ベトナムを訪問するプーチン閣下。

 

中国の六場戦争計画。

2020年から2025年にかけて台湾を取り返す。

2028年から2030年にかけてベトナムとの戦争で南沙諸島を奪回。

2035年から2040年にかけて南チベット(アルナーチャル・プラデーシュ州)を手に入れるためインドと戦争。

2040年から2045年にかけて尖閣諸島と沖縄を日本から奪回。

2045年から2050年にかけて内蒙古モンゴル国)を併合。

2055年から2060年にかけてロシア帝国清朝から奪った160万平方キロメートルの土地(外満州、江東六十四屯、パミール高原)を取り戻して国土を回復する。

この六場戦争計画に名前の上がっている、ロシア、モンゴル(騎馬民族)、ベトナム(客家)が北朝鮮(秦氏)と日本(八咫烏)を巻き込んで水面下で動いているように見えます。

 

上記の通り、台湾併合の後に5つ戦争をやる気満々なのだから、シーレーン封鎖兵糧攻めで、台湾を無血併合し、体力を温存するつもりであろうと思われます。そこをNEDアメリカが気づかなかったというより、ずる賢く肝の座った中国が言う事を聞かなかったのでしょう。

アメリカや中国と距離を置いて、とりあえず今は非公式にでもロシアクラブに入って様子を見る方が得策かもしれませんが、それが罠ならどうすれば良いのでしょうか。ロシアモンゴルベトナム北朝鮮、全部社会主義国ですし。まぁ、日本も社会主義みたいなもんですが…。今度こそ日本列島分割の悪夢がよみがえる…。

 

ベルリンの壁が崩壊し、ソ連も崩壊し、天安門事件中国共産党を崩壊させる絶好のチャンスだったのに、手厚く手助けした日本。時の総理は百済北朝派宇野氏と新羅南朝物部氏と同族の海部氏。日本の古来からの氏族が足枷になっているように見えます。物部氏も野望が潰えて、巻かれてしまっているのでしょうか。

 

ロシアを操る黒幕。アレクサンドル・ドゥーギン氏。

やっぱりまた出てきた。アレクサンドル・ドゥーギン氏はスコットランドウェールズアイルランドに肩入れする神智学者です。Qアノン思想の出所ですね。極右の皮を被った極左ブレジンスキーの計画通りに動いているだけ。

本物はどれだ!?どれでも良いのです。舞台用の操り人形なんだから。

 

英米、親中国共産党ブレジンスキーケルト神智学の命令に従うユダヤです。極右の皮を被って世界を戦争の惨禍へ陥れる彼の計画は、死してなお健在です。中国共産党ケルト神智学クラブがつくりましたし。絶対に中共を潰す事はないでしょう。

 

こんな情報出ちゃったら、只ではすまないでしょう…。

 

中国だってバカじゃないから、台湾併合で無駄に本気出さないだろう…。

でも、オランダが煽り運転に参加し始めてるしwはるばるご苦労さまです。盧溝橋事件のように、正体不明の何者かによる、謎の一発があったらどう転ぶか分からない危うさも感じます…。

 

四方八方も国の上層部もカルトで敵だらけな一般日本国民。

グーグルマップで、吹き飛んでしまいそうに小さな日本を見つめながら、どうすれば良いのか、全くわからないでいます…。

あ!インドはどうするんでしょうか?た、助けて…。でも、インドって神智学協会の本場だからな。強いインドは余裕で生き残る!

 

物部氏系の続編は近日中に上げる予定です。

それでは。

(^ω^)丿丿”🐸丿丿”

物部氏の潰された野望③〘番外編・オランダコミンテルン〙

オランダコミンテルン。ヘンク・スニーヴリート。

今回は短縮して、番外編として緊急で上げさせていただきました。

前回の、物部氏の潰された野望②において、オランダについて少し触れさせて頂きました。

オランダからの移民アメリカ人である、大陸ケルトのワロン人デラノ家フランクリン・デラノ・ルーズベルトや、その五従兄弟で、やはりオランダからの移民であるセオドア・ルーズベルトルーズベルト家。そして最近の米軍基地の、オランダへの又貸し事件。

なんと、オランダがコミンテルンの本場であったとわかりました。 35:50あたりから。宮脇淳子氏の発言に驚愕しました。「コミンテルンてロシア人じゃない人が殆どなんですね。オランダとか、本当の共産主義者ね。そもそもがね。」

最近、好きです。宮脇淳子氏の歴史話。

日本の皇室にも食い込んでるオランダ。

天皇メーデーに即位しました。

メーデーは、共産主義労働組合の日ですが。

ケルトの夏の始まりを祝う、ベルティネ祭の日です。

やはり共産主義ケルトカルトのワンセットの匂いがするでしょう?

冒頭のヘンク・スニーヴリート。オランダ人で、革命的社会主義者の創設者、議長、そして唯一の代表でした。この人が1921 年の中国共産党の結成を指導していたのです。また、孫文率いる国民党との協力を提唱しており、コミンテルンを代表して国民党と個人的に連絡を取り合っていたとの事。米ソだけでなく、オランダも密かに国共合作の支度に参加していたのです。

 

完全に敵ばかりに囲まれている日本。

もはや逃げ道はないのでしょうか…。

ここまで、やり込められるって何なんでしょうか?

これからも少しずつ追求していきたいですが、いつまでやってられる事やら…。

それでは!

(^ω^)丿丿"🐸丿丿"

物部氏の潰された野望②〘上海♪春のパン(幇)祭り♪〙

4月中に更新しようとしていたのに、もう初夏になってしまいました。

シリーズ「物部氏の潰された野望」、第2回目にして最終回になります。

今回も、客家人である、上海ハニーな宋家三姉妹を推しメンとして、好き勝手にこじつけ陰謀論ファンタジーする気満々であります。

抗日プロパガンダ中の宋家三姉妹。女性兵士慰問中の撮影。慰問してないで、ご自分らも女性兵士として戦えば良かったのに。

内容的には、紅幇青幇、パン(幇)祭りな、ドキッ!マフィアだらけの中国革命!になります。フリーメイソンの階級制度というのは紅幇青幇の真似だとも言われますね。紅幇青幇というのは、それだけ古い歴史を持っていて、庶民の生活に浸透しており、普通(?)のマフィアより超絶ヤバい組織のようです。

かつて存在した、ジョージア・ガイドストーンに中国語が含まれていたのも頷けるというものです。効率化アップで推し進められたインチキ簡体字ではなく、繁体字だったようですが、インチキ簡体字しか読めないように飼いならされた下級国民から先にこの世から消えてもらうというメッセージだったのかもしれません。実際、コロナやワクチン祭りで、相当数が死に絶え、すでに人口が10億人を割っているという噂もありますからね。

 

それでは、始めたいと思います。

ご主人様紹介シリーズの最終回は、宋家三女、宋美齢のご主人様です。

札付きのワル。蒋介石です。笑顔が素敵なお写真ですが、性格の悪さでも定評がありますね。台湾での正式名称は蒋中正。若い頃には、石田雄介という偽名で満鉄社員になりすまし、工作活動をした事もありました。仲の悪かった、米陸軍司令官スティルウェルからは、ピーナッツというあだ名を付けて貰いました。

やはり、客家なので目鼻立ちがハッキリしていますね。

生家は代々、歴代皇帝に塩を献上してきた由緒正しい塩問屋でした。中国の歴代王朝は、塩に高い税率をかけ、専売して国家財政を賄っておりましたので、蒋家は特権階級でした。

しかし、9歳のときに父親が死去した事により、生活は一変してしまいます。母子家庭にとって封建的な社会は厳しいものだったようです。意地悪な地主にイジメられ、身におぼえのない犯罪で濡衣逮捕されるなど、世の中に恨みを募らせる、ギザギザハートな少年期でした。

ちっちゃな頃から悪ガキで、街のギャング団に加入。15でギャングと呼ばれるようになります。ナイフみたいにとがっては、触るものみな、傷つけました。

14の時に親の決めた相手と結婚したけれど、父の家業を継がずに、一人で街を出て日本へ渡ろうと決めました。介石、18才の春の事でした。

日本で軍事教育を受けようと、胸は希望でふくらんでおりました。ところが、清朝の後援がない為に、日本の陸軍学校に入学出来ない事がわかったのです。

辮髪を切ってはみたものの、熱い心はへし折られ、夢は国境の厚い壁に削られてしまいました。

「あぁ〜…、わかってくれとは言わないが、こんなに不運が続くのか…。」

しかし、この出来事が後の歴史を大きく動かす事となったのです。

客家というのは、兎に角、団結力命です。国やらイデオロギーなんかよりも、客家としての結束が何よりも優先されるのです。ですから、日本で路頭に迷った介石を、彼らが放っておくわけがありません。

介石の運命を大きく変えたきっかけ。それは陳其美との出会いでした。

陳其美

上海で会計士として働いていた陳其美は、日本の東京警察学校に留学していました。この留学中に孫文と出会い、アジア主義らの援助で結成された池袋中国同盟会に入会。孫文の右腕として活動を開始します。この頃に陳其美と介石は出会ったのでした。女好きな孫文が、アジア主義らから上納やアテンドを受けていた真っ只中の頃ですね。

陳其美紅幇のメンバーでした。介石と義兄弟の契りを結び、介石は彼の舎弟となりました。

日本の警察って、昔から中国マフィアとも懇ろなんですね。どうりで、長野聖火リレー暴動や、街頭での中国漢民族の集会を取り締らないわけです。まぁ、前回の通り、皇室も漢民族と懇ろですから仕方ありません。池袋の中国マフィア大乱闘事件も不起訴になりましたし、司法も逝っちゃってますね。

紅幇とは、13世紀から反体制組織として勢力を拡大し、騎馬民族国家元王朝を悩ませてきた白蓮教をルーツとし、18世紀には客家地域で発展した、客家御用足しの由緒ある裏社会秘密結社です。生まれ故郷のチンピラギャングにすぎなかった介石ですが、本格的マフィアとして、裏社会デビューを果たしたのでした。その後は、孫文と同じく、マフィア兼務革命家として出世街道を駆け上がって行きます。

陳其美の支援で、東京の振武学堂に入学した介石は、度々上海に戻っては、脅し、強盗、刑務所破りに暗殺など、悪事の限りを尽くし、裏社会でその名を轟かせました。また、この頃、漢民族のマフィア組織、青幇にも入会しました。

卒業後は、辛亥革命に参加。手柄を上げて、陳其美は上海の軍政官に任命され、蔣介石は連隊長に任命され、出世しました

介石は、陳其美と敵対する陶成章を暗殺する騒ぎを起こしてからは、上海で大人しく、犯罪まみれの暮らしを送っておりましたが、ここで青幇の大物、杜月笙とお近付きになる事が出来ました。強(凶)運の持ち主ですね。

杜月笙

杜月笙は、元は紅幇の幹部で、この顔立ちですので、客家だったのかもしれません。青幇の親分を殺して後釜に座った人でした。気合全開の背乗りです。これを期に、上海の都会では、多くの紅幇が青幇に入り込み、組織を乗っ取ったようです。私はこれを、都会派青幇(中身は紅幇)と呼びたいと思います。

杜月笙は、紅幇・青幇・藍幇を合併させ、三和会を結成。上海のアヘンビジネスを一手に取り仕切りました。フランス租界やイギリス租界の警察も金で抱き込み、大親分の黄金栄がフランス租界の刑事部長の座に居座りました。この時のフランス租界警察署長はコルシカ島マフィア、ユニオン・コルスのメンバー、エチエンヌ・フィオリでした。

フランス租界では、アヘンカルテルの幹部さんらが、皆で仲良く暮らしました。

黄金栄。黄金が栄える。ギラギラで素敵なお名前ですね。

上海は、大親分の黄金栄と副親分の杜月笙が、好き放題に取り仕切る時代に突入します。

杜月笙は、宋家三姉妹の父で、紅幇メンバーの宋嘉澍とお友達でした。宋嘉澍は、メソジスト教会の宣教師、牧師であり、一代で実業家として成功した金融王でした。ついでに、宋家の長女、宋靄齢ともお友達になり、その流れで靄齢のご主人、孔祥熙ともお友達になりました。

宋家三姉妹の父、宋嘉澍。洗礼名チャーリー・スーン。客家です。盟友である孫文の革命活動を資金面で支援していました。今にもムエタイを始めそうな雰囲気ですが、出身はベトナムにほど近い、中国最南端の海南島です。おそらく東南アジア系の血も入っているのでしょう。客家のルーツというのが、中国南部に残留させられた秦の始皇帝の軍隊ですから、生粋の客家と言えるのではないでしょうか。清朝政府に追われて、東京に亡命していた時に、孫文孔祥熙と出会いました。宋家三姉妹を含む子供6人全員、アメリカに留学させる強者でした。

海南島。素敵なリゾート地です。

客家分布図。清朝の時代に海南島まで南下したようです。そりゃあ革命運動を起こしたくもなりますね。

先祖には漢民族の王朝、北宋の政治家で学者の韓琦や、南宋の官人、韓侂冑。南宋の高宗の憲聖慈烈皇后。秦漢国夫人呉氏など、錚々たるメンバーが揃っております。秦漢国とは、秦の始皇帝秦氏漢民族が合体した王朝です。古代から秦氏客家漢民族グルグルのコンビネーション体制だったというわけです。

そこで思い起こされるのが、この方。秦河勝の末裔、静岡県知事、川勝平太です。

日本のリニア開発を妨害し続け、5年間で12人もの県職員自殺者を出し(本当に自殺?)、熱海土石流殺人事件にも無責任な態度をとる、バリバリな親中派です。秦氏漢民族のコンビネーションです

 ちなみに、事件の原因となる、無謀な盛り土をした土地所有前会社は、同和系列の会社であり、そこから土地を買い取り、中国製メガソーラーを建設した会社は中国系企業です。

川勝氏、ボーナス受け止めて辞めたってよ。絶対受け止めると思ってはいました。

 

ちなみに、宋嘉澍のアヘンビジネスの人脈には、オランダからの移民アメリカ人で、ラッセル商会のやり手商社マン、ウォーレン・デラノ・ジュニアがおりました。フリーメイソン第32代アメリカ合衆国大統領の、フランクリン・デラノ・ルーズベルトの母方のお祖父様です。

ウォーレン・デラノ・ジュニア

都会派青幇(紅幇)は、ラッセル商会やサッスーン商会など多くのアヘン商社の用心棒を務めておりました。もちろん、日本政府もその人脈の中でアヘン商売をしていたわけですが…。

フランクリン・デラノ・ルーズベルト

デラノ一族というのは、ワロン人です。ワロン人とは、ベルギー南東部に住むケルト系民族がルーツです。ベルギー=ケルトガリア人ベルガエ族大陸ケルトです。ルーズベルト一族もオランダからの移民です。

ソ連スターリンと一緒に中共を助け、騎馬民族物部氏の野望を叩き潰した、反日フランクリン・デラノ・ルーズベルトは、幼少期を祖父のウォーレン・デラノ・ジュニアの元で、中国ゆかりの品々に囲まれて育ちました。ハーバード大学時代の同級生には、宋嘉澍の息子であり、宋家三姉妹の兄弟でもあり、蒋介石の右腕ともなる宋子文がおりました。

宋子文

大統領時代のルーズベルトの周辺には、スターリン社会主義組織フェビアン協会ソ連スパイが、うじゃうじゃおりました。ハル・ノートの土台を作ったハリー・デクスター・ホワイトや、アメリカの最高機密であった原爆情報をスターリンに届けていたハリー・ホプキンスなどなどなどです。

フェビアン協会の初期メンバーには、以前ブログで触れました、神智学協会の大物、島ケルト系のアニー・ベサントや、ケルト系貴族のバートランド・ラッセルもおりました。

フェビアン協会の紋章、羊の皮を被ったオオカミ

ラッセル商会の設立者、サミュエル・ラッセルの従兄弟は、イェール大学秘密結社スカル・アンド・ボーンズの共同設立者の一人、ウィリアム・ハンティントン・ラッセルです。二人の先祖である、ノアディア・ラッセルはイギリスからコネチカット州に入植した移民の子孫であり、アメリカ会衆派の牧師で、イェール大学の設立者でした。

ラッセル家の先祖を辿れませんでしたが、おそらくウェールズ地方からの移民でしょうか?

イェール大学の「イェール」とは、イギリス商人のエリフ・イェールにちなんでおり、ケルト語派ウェールズ語で「肥沃な高地に住む人」という意味があります。そういば、孔祥熙もイェール大学出でした。

スカル・アンド・ボーンズの共同設立者のもう一人、アルフォンソ・タフトは、スコットランド(島ケルト)の血脈です。デラノ一族である、第18代アメリカ合衆国大統領ユリシーズ・S・グラントに懇願されて陸軍長官を務めました。もちろん子孫や一族には華々しい経歴の人々が多く、第27代アメリカ合衆国大統領ウィリアム・ハワード・タフトや、アイルランド大使を努めた人や、スコットランドアイルランド人(島ケルト)の血を引く第43代アメリカ合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュの元で活躍した人もいます。

ラッセル商会スカル・アンド・ボーンズは、アメリカ初の諜報機関カルパー・リングを設立しました。

随分と芋づる式に、話が良く出来ていますね。

ジョージ・W・ブッシュといえば、アル中で、菓子パンを喉に詰まらせて死にかけたり、知性の欠片もない失言など、現在のアイルランド系梅田大統領と負けず劣らずな楽しい言動を繰り広げてくれましたが、金持ちで血脈が良けりゃ名門イェール大学に入れるし、スカボンにも入れるし、大統領にもなれるのです。

911の時のブッシュさん。

忠犬のダンスを見守るブッシュさん。

スカボンは、古代ギリシャの雄弁家デモステネスを崇拝しているそうです。322とは、マケドニアに追い詰められたデモステネスが自殺した年、紀元前322年をあらわしています。何故、デモステネスを崇拝しているかと言えば、以前のブログ記事にヒントがありました。↓

かつて、マケドニアアレキサンダー大王は、他民族誘拐人身売買で悪名高きフェニキア人の都市国家ティルスを残虐に討ち滅ぼし、成敗しました。デモステネスは、そんなアレキサンダー大王に楯突いた人だったのです。

↑ やはり、フェニキア人とケルト人は同族なようです。という事は、他民族人身売買バスク人も同族という事です。ケルト系スカボンはフェニキア人の敵、アレキサンダー大王に反抗した人物を崇拝して、他民族を呪っているのです。相当な恨みを持っていますね。アレキサンダー大王は、デモステネスが自殺した年の前年、紀元前323年に亡くなりました。32歳という若さでした。

アレキサンダー大王

 

というわけで話を戻します。銀行を支配する宋家、孔家と都会派青幇(紅幇)が結びつき、中国経済を支配し、莫大な富を山分けするお友達体制が出来上がりました。

そんな羽振りの良さがうらやましかった介石は、なんとかお友達の輪に入ろうと、杜月笙の腹心の部下で銀行家の、張静江とお友達になりました。

張静江

張静江は、資金洗浄や、介石の交渉の代理など、何かと役に立ってくれました。そして、杜月笙の信用も得る事が出来ました。

杜月笙と介石は、株式市場や商品取引所を創設し、インサイダーで大儲けしました。

そんな折、介石にビッグチャンスが訪れます。孫文の補佐役であった、親分の陳其美が暗殺されたのです。ここぞとばかりに介石は孫文にとり入り、補佐役の座をゲット。その後すぐに、広州の軍事顧問に就任。イケイケドンドンな大出世です。杜月笙は、儲けた金の一部を国民党に寄付し、国民党軍の少将に就任しました。

ドキッ!マフィアだらけの国民党軍…。

その後も、介石の快進撃は続きます。孫文の命令でモスクワへ送られ、ソ連からの支援を取り付ける事に成功したのです。この功績で、黄埔軍官学校の準備委員会長、後に校長。さらに、国民党軍の参謀長に就任しました。黄埔軍官学校には、青幇の荒くれ者7000人を幹部候補生として入学させ、卒業後は部下にしました。孫文の興中会の真似ですね。黄埔軍官学校設立時は、第一次国共合作時代でしたので、同校政治部主任の共産党周恩来は、この時介石の部下でした。

しかし介石は、客家マフィア共産主義孫文と、客家マフィア共産主義の杜月笙との間で板挟みになっておりました。孫文の下で出世したいけれど、自分が今の地位にいるのは、杜月笙のおかげ様。共産主義に天下を取られれば、紅幇青幇は宋家孔家と一緒に上海で好き放題な違法ビジネスが出来なくなります。どちらの親分を優先すべきか、悩ましい所ですね。

そして、神はまたしてもこの男にビッグチャンスを与えました。孫文が死んだのです。

杜月笙の裏社会パワーのおかげ様で、孫文死後の後継者争いに勝ち残る事が出来ました。杜月笙様あっての蒋介石です。

俺の人生余裕♪ 喜びを抑えきれない、良い写真ですね。

国民党!新指導者!蒋介石爆誕です!!

これで思いっ切り、堂々と、違法ビジネスに勤しみ、共産主義者を弾圧する事が出来るようになりました。

中国共産党の方も負けてはいません。杜月笙の都会派青幇(紅幇)の影響が及んでいない農村の青幇を動員し、得意の労働組合を結成。都会で働く労働者も巻き込んでこれに対抗しました。

都会派青幇(紅幇)国民党VS農村労働派青幇共産党の、青幇同士の血みどろのバトルが開始される事になります。

1927年3月、農村労働派青幇メンバーで客家周恩来率いる共産党軍は、上海の重要施設を占拠。80万人の労働者もストを決行。上海市はマヒし、都会派青幇(紅幇)の幹部達は中国人地区から追い出されてしまいました。

介石は、黄金栄、杜月笙、張嘯林(藍幇の親分)を集めて上海奪還の作戦会議を開きます。宋家の長女、宋靄齢も財政支援を申し出てくれました。

まず手始めに、上海へ軍楽隊を送り込み、「共産党との共同戦線」を宣言し、油断した多くの労働者から武器を取上げる事に成功しました。

そして、4月12日の早朝。都会派青幇の武装集団が上海に突撃。多くの労働者や市民が犠牲となる、大虐殺事件が勃発しました。世に言う、上海クーデターです。血みどろの春の上海、幇(パン)祭り…。

5,000〜10,000人の方が犠牲になったと言われます。

これにて、国共合作の継続という孫文の遺言は破棄され、第一次国共合作は崩壊いたしました。

周恩来は命からがら逃げ延びました。

上海からの共産党追出しに成功した介石は、この年の9月に、宋家の三女、宋美齢と上海で結婚しました。クリスチャンである宋家に合わせ、きちんと洗礼を受け、妻や複数の愛人を捨て、宋家に媚を売りました。この政略結婚は、女傑である宋家長女、宋靄齢がまとめました。

さらに翌年には、第一次中独合作が成立。ドイツから軍事顧問団を招き入れる事に成功しました。1933年にナチス・ドイツが誕生すると、第二次中独合作が成立する事となります。

当初、宋家次女の宋慶齢は、自分の亭主孫文の女遊びを棚に上げ、蒋介石には複数の女がいるとして、この結婚に反対しました。美齢も、当時既に張学良と不倫関係であった為、一度はお断りしたのですが、一族の繁栄の為には蒋介石を利用する必要があるとの事で、結婚を了承しました。

 宋美齢の彼氏、張学良。元アヘン中毒者で親の七光的貴公子でした。

若い頃の二人。第二次大戦後、張学良も、宋美齢の勧誘により、キリスト教の洗礼を受けました。

張学良が27歳になった誕生日、父親の張作霖が日本軍により爆殺されました。有名な張作霖爆殺事件ですね。

何が良かったのかよく分かりませんが、当時としては非常にイケメンだったらしく、兎に角モッテモテ、多くの女傑達から支援された生涯でした。そのモテっぷりは、イタリア、ムッソリーニの令嬢エッダもメロメロになる程であったとか。誕生日に父親が爆殺された事により、悲劇の貴公子として、モテ度にさらなる拍車をかけたのではないでしょうか。

幼少期から聡明で、女性の扱いが上手い男なんて相当な策士ですからねぇ。油断ならない人物です。実際、後に蒋介石を嵌める事になります。

張学良の嫁を睨みつける、ムッソリーニ令嬢エッダ。

張作霖爆殺事件の真犯人については、諸説ありますが、私的には、スターリン説が有力ですね。日本軍の仕業に見せ掛けたのです。この説を真っ向から否定しているのが学者の秦郁彦ですが、…秦氏ですからねぇ…。あの南京大虐殺を、嘘つき経歴詐称懺悔屋の曾根一夫の嘘証言を元に本を出して、肯定している人ですから、信用性に欠けますね。あれは、蒋介石宋美齢夫婦とアメリケルトカルトのヤラセプロパガンダです

以前のブログでも触れましたが、神智学協会ブラヴァツキー夫人の従兄弟、セルゲイ・ヴィッテ伯爵が資金提供して煽った、ロシア革命前哨戦の第1回目、血の日曜日事件に、スターリンは下っ端リーダーとして参加しておりましたし。

セルゲイ・ヴィッテ伯爵といえば、ポーツマス条約会議。日露戦争に勝利した日本にとって不合理な条約を突き付けてくれました。調停役は、フリーメイソンスコットランド系(島ケルト)の第26代アメリカ合衆国大統領、バリバリの反日セオドア・ルーズベルトでした。大陸ケルトフランクリン・ルーズベルトと五従兄弟ですね。この時、何故かセルゲイ・ヴィッテ伯爵にピッタリくっついていた側近が、アイルランド人(島ケルト)のエミール・ジョセフ・ディロンです。神智学協会の香りがするロシアの伯爵に、島ケルトの側近がいるってわかりやすくて、やり過ぎではないでしょうか。

前回から申しております通り、ケルトカルト神智学協会を軸にして、農耕民族の漢民族客家秦氏はグルグルなわけです。

 

またまた話を戻します。介石は1928年に南京に新政府を樹立。ゲシュタポ的な役割を担った都会派青幇(紅幇)は各都市に潜む共産党員を殺して回りました。また、富裕層や商人から多額の寄付金を巻き上げて回りました。

宋家の宋子文財務大臣に据え、宋家、孔家、杜月笙、蒋介石は、アヘンや違法ビジネスで大儲け体制を築き上げました。

外国からの多額の革命支援金も着服していた介石は、資金洗浄目的で「中国農民銀行」を創設しました。人々からは「アヘン栽培銀行」と罵られました。アヘン栽培銀行の支店は、中国共産党赤軍の農村にある複数の拠点に設けられ、農村労働派青幇に睨みを効かせました。

ところが1934年、アメリカ、ルーズベルト大統領が、世界大恐慌のテコ入れ策として銀買上法を公布すると、中国国内の銀は国外へ大量に流出。清朝時代からの銀本位制を継承していた中華民国にとって大きな打撃となりました。

介石は、1935年、幣制緊急令を制定。銀の流通を禁止して、法幣のみを法定統一通貨とする管理通貨制度に切り替えました。

1936年にはアメリカとの協定が成立し、アメリカに銀を放出する代償として、アメリカ=ドルとリンクすることとなり、ドル経済圏に組み込まれることとなりました。アメリカが国民党蒋介石を利用し始めたわけです。

1929年の世界大恐慌の傷口を広げたのは、1930年にアメリカで成立した、スムート・ホーリー関税法といわれます。この法案成立に携わった一人、リード・スムート氏は、共和党議員でスコットランド人とアイルランド人の島ケルトな血脈で、ユタ大学出のモルモン教、父親は一夫多妻制を実施する敬虔なモルモン教徒でフリーメイソンという、陰謀論的には完璧な経歴を持つキャラでした。完璧であるが故に、議員当選から4年間も世間から激しいバッシングを受けた方でした。共和党の島ケルト議員が種を蒔いて育てて、民主党の大陸ケルトルーズベルトが回収するという、上手い作戦ですね。

法幣を発行する政府系銀行は中央銀行中国銀行交通銀行・中国農民銀行(アヘン栽培銀行)の四銀行だけでした。

中央銀行の理事は、宋靄齢のご主人、孔祥煕

交通銀行の理事は、宋靄齢宋子文宋子良宋家兄弟

中国銀行の理事は、杜月笙

中国農民銀行(アヘン栽培銀行)の理事は、孔祥煕陳国福

都会派青幇(紅幇)と蒋介石宋家孔家陳家の四大家族による、浙江財閥ですね。陳国福の叔父は、介石の親分であった、あの陳其美です。凄いですね。国を犠牲にしても、紅幇客家の義兄弟の契りや親戚関係を最優先にするのです。もうやりたい放題な独裁国家体制ですが、この頃が絶頂期。徐々に雲行きが怪しくなっていきます。

 

こうして、アメリカ&国民党ドル経済圏日本満州朝鮮台湾のブロック経済が対立する事になり、後の西安事件盧溝橋事件、直後の通州事件日中戦争、ひいては、第二次世界大戦へと繋がって行くわけです。さらに言えば、将来の台湾有事にも繋がって行くのではないでしょうか。

↑「蘆溝橋で放たれた最初の一発は、(国民革命軍)二十九軍の兵士の中に入り込んで居た中共に属する学生の1人が発砲したのである。」

ここで、シリーズ前回の「物部氏の潰された野望①」をお読みになって下さった方は思い出されるのではないでしょうか。アメリ会衆派教会が設立した北京市通州区潞河中学校中共秘密結社に属する学生が通州事件を扇動していたのではないかとの疑惑を。

ちなみに、先程ご紹介した秦郁彦先生は、「中国側第二十九軍の偶発的射撃」として片付けておられます。何が何でも隠したい事がある。笑

アメリケルト中共の影を感じるのは、盧溝橋事件や通州事件だけではありません。盧溝橋事件発生の8ヶ月前に起こった西安事件からも感じ取れるのではないでしょうか。

↑あの赤旗新聞があっさりバラしてくれました。張学良が生涯口を割らなかった事なのに、大丈夫なのでしょうか。もう皆死んだから良いのか。

西安事変の前、中国共産党コミンテルンの方針を受けて有力な軍閥で抗日の意志のある張学良や閻錫山と協定を結ぶんですね。

蒋介石はそれを知らずに張学良を共産党掃滅部隊の総司令官に任命する。でも張学良が動かないものだから、蒋介石自身が命令しようと西安に乗り込んできて、逆に張学良に捕まっちゃう。それが西安事変です。

西安事変のこうした経過は本当にわかりにくかった。これに関わる中国共産党中央関係の電報34通が、山口さんが北京でたまたま見つけたコミンテルンソ連共産党と中国革命に関する文献資料』という中国語の本の中にあったんです。初めて見ましたよ。」

張学良が、周恩来との極秘会談で抗日協定を結んでいた話は知られていますが、やはり、背後にソ連がいたのですね。

ニューディール政策などの共産主義的政策を進めていたフランクリン・ルーズベルトが、1933年に共和党の反対を押し切って、ソ連を国家承認した事も大きいです。

米ソ神智学協会ケルトクラブが、バートランド・ラッセルの教え子である毛沢東農村労働派青幇で客家周恩来を押し上げる為に、都会派青幇客家蒋介石と日本軍を嵌めたであろう事は、下記の出来事から読み取れます。

蒋介石が監禁され残された国民党幹部の間で、新しい指導者として親日派汪兆銘を擁立し、日独中三国による防共同盟を結成して、張学良および共産党と対決しようとする動きがあった。

・↑の動きを察知したスターリンは、蒋介石処刑を主張する毛沢東を諌めて、蒋介石と協力して抗日体制を確立するよう命令した。

西安事件ショックによって、中国政府発行の公債が暴落するなど市場混乱のきざしが生まれると、アメリカは、戸惑いまごつく日本政府を尻目にすばやく中国にたいして金融安定のための援助を声明している。

ソ連西安事件直後、中国政府に対して五千万ドルの借款を供与している。

蒋介石が、西安事件に対してアメリカはきわめて好意的であった、と証言している。

ソ連に人質留学していた長男、蒋経国(最初の妻との子)西安事件後に突然の帰国を許される。

アメリカ資本と深い関係にあった浙江財閥の代表であり、フランクリン・ルーズベルトと同級生の宋子文と、親米派の介石の妻、宋美麗が、西安事件解決のために張学良からわざわざ招かれた

 

普通、自分で事件を起こし敵対しておいて、アメリカの香りがする敵方要人を丁重に招いたりするでしょうか?他の国民党幹部は米ソを警戒し、親日派を擁立しようとする程カンカンに怒っていたのに。ヤラセ臭さを感じます。不倫相手と一緒に亭主を嵌める美齢さんの図太さは天下一品であります。米ソスパイ試験合格ですね。

ここまで米ソに脅されて、流石の介石も1937年9月に成立する第二次国共合作に従わないわけにはいかなかった事でしょう。

事件の後、張学良は軍法会議にかけられ、37歳から90歳まで53年間もの至れり尽くせりで優雅な軟禁生活を強いられる事になります。羨ましいですね。そりゃあ100歳まで長生きするわい。

張学良が死刑を免れたのは、美齢が「張学良を殺したら、お前と裏社会の秘密を世界にバラす。」と、介石を脅した為とも言われます。

この事件の時、亭主救出茶番劇の為に上海から飛行機で派手に西安に乗り付けた美齢の様子は世界的な注目の的となりました。飛行機の手配をし、介石釈放の交渉役を務めたのは、オーストラリア出身でニューヨーク・ヘラルド社の特派員、ウィリアム・ヘンリー・ドナルドでした。ドナルドとは、ケルト語由来で、「黒髪または褐色の髪の異邦人」を意味します。ケルト人名ですね。美齢とは男女の関係にあったともいわれます。しかも、孫文や張学良の顧問であり、宋家三姉妹の父親、宋嘉澍とは古くからの友人でした。張学良のアヘン中毒の治療も手助けしました。

ヤラセ臭い匂いがプンプンします。

そして有名になった美齢は後に、抗日プロパガンダで大活躍する事となります。

ウィリアム・ヘンリー・ドナルド

ウィリアム・ヘンリー・ドナルドらしき人物と一緒に歩く宋美齢

 

南京大虐殺プロパガンダは、1937年12月13日に日本軍が南京を陥落した事に端を発します。この時、介石美齢夫妻は、アメリカ人パイロットが操縦するドイツ製軍用機で既に脱出しており、国民党軍の指揮官などの要人や、ナチス・ドイツの軍事顧問団も密かに脱出。そして、13万人の非力な国民党軍兵士だけが南京に取り残されました。

↑非力な兵士達は、撤退命令を受けた受けないで揉み合いとなり、激しい殺し合い状態になってしまいました。揚子江から対岸へ向かう船を奪い合い、船に乗れなかった者は、船上の兵士を機関銃で乱射。死者数は数万人にも及び、揚子江は血の海と化しました。多くの紅幇青幇の荒くれ者らを兵士にしていたからこんな事になってしまったのでしょうか。

↑これは、是非お読みください。この事件を南京大虐殺プロパガンダとして利用したのが、南京安全区国際委員会のメンバーらでした。国際委員会は難民救済を建前にしながらその実、蒋介石の国民党に雇われ、反日宣伝活動に勤しんでおりました。メンバーは、オランダの複数の会社を通して国民党へ武器の密輸をしていたジーメンス社社員でナチス党員のジョン・ラーベ会長を筆頭に、アメリカ、イギリス、オランダの宣教師らでした。結局皆グルグル、ナチスドイツはヒール役を請け負っただけ。下の4名は、下手人、国際委員会のメンバーです。

南京大虐殺プロパガンダフィルムを作成したのが、ジョン・マギーです。アメリカ聖公会の宣教師であり、イェール大学出のスカボンメンバーでした。東京裁判では証人として出廷しました。そこでマギーフィルムの嘘がバレてしまい、フィルムは証拠採用されませんでしたが、松井石根陸軍大将はB級戦犯として処刑されてしまいました。

しかし、2015年に南京大虐殺が、ユネスコ世界記憶遺産に登録された際の証拠資料として採用されてしまいました。時間が経つ程に、言ったモン勝ち、やったモン勝ちな世の中。

ジョン・マギー

 

マギーフィルムを南京から密輸して、アメリカ中に広めたのがジョージ・アシュモア・フィッチです。事実に基づかないデタラメな作り話を報告、宣伝し続けました。アイルランド人やスコットランド人など、ケルト御用足しの長老派宣教師であり、イルミナティの下部組織、YMCAメンバーでもあり、中国フリーメイソンロッジのグランド・マスターや、YMCAの韓国支部を務めた大物です。そして、これまたなんと、フィッチの父親は宋嘉澍の印刷会社「商務印書館」の前身「美華書院」の責任者でもありました。宋嘉澍のお友達関係、凄いです。

また、上海の日本人街、虹口公園で発生した上海天長節爆弾事件では、韓国人爆弾テロ犯、尹奉吉を自身の車で現場へ送り届けています。

とってもパーフェクトな経歴ですね。

ジョージ・アシュモア・フィッチ

妻のジェラルディン・タウンゼント・フィッチも大の韓流好きであり、韓国系キリスト教組織を紹介する記事を、左寄り国策新聞社ニューヨーク・タイムズ紙に載せています。南京大虐殺プロパガンダを真っ先に記事したのもニューヨーク・タイムズでした。

ジェラルディンは、共産主義者赤いファーストレディと呼ばれた、エレノア・ルーズベルト宋美齢とは、お友達関係でした。エレノア・ルーズベルトは、反日セオドア・ルーズベルトの姪であり、母親はスコットランド(島ケルト)系の血脈です。

ジェラルディン・タウンゼント・フィッチ

赤いエレノア・ルーズベルトと民主主義の皮を被った独裁主義者、宋美齢

FBIの監視対象であったエレノア・ルーズベルトは、米青年共産主義者同盟を率いて、米議会を妨害するなどしました。第1回国連総会のアメリカ代表、国連人権委員会の初代議長でした。世界人権宣言を自ら起草して1948年に採択させました。共産主義クラブ国連。

 

国際法違反の国民党軍便衣兵の悪事を、日本軍の仕業として、日記形式で報告し続けたミニー・ヴォートリンは、蒋介石からヒスイ勲章を貰いました。国民党軍の行儀の悪さは、やはり紅幇青幇メンバーが多かったからでしょうか。

外国キリスト教宣教協会の宣教師で、南京の金陵女子大学の教師でした。

「虐殺派」からは「南京の女神」と崇められています。勘違いされれば、人は神でも英雄でも何にでもなれるのです。

ミニー・ヴォートリン

 

国民党からの依頼を受けて「南京の日本軍暴行記録」を書いた、ルイス・S・C・スマイスは、統一キリスト教宣教協会 の゙アメリカ人宣教師でした。

南京陥落後、国際委員会メンバーらは、日本軍将兵から肉を貰うなどし、穏やかなクリスマスを過ごす事が出来ました。正月には、日本軍から貰った爆竹を鳴らして楽しそうに遊ぶ南京の子供達を目撃します。スマイスはこれについて、「今まで見たこともない騒々しい、嬉しくない正月だった」と書き記しています。プロパガンダ仕事のネタが無くて退屈したのでしょうか。日本軍からもてなされておきながら、日本軍を貶める仕事をし、この発言。神経を疑います。宣教師さんて凄いですね。

例の秦郁彦先生は、スマイスの調査記録を、「貴重かつ重要な一次資料」と評していらっしゃいます。

ルイス・S・C・スマイス

 

古代から数字をサバ読みするクセがある中国人が、南京大虐殺の被害者は30万人としていますが、おかしいですね。南京陥落前の南京の人口は20万人。陥落後は減るどころか、何故か5万人増えて25万人とはこれいかに。

本当に日本が大虐殺したなら、日本の病院に行く南京市民なんかいるわけないと思いますが、実際は大盛況だったようですね。

散々、抗日プロパガンダ打っておいて、アメリカに捨てられてから日本に泣きつき媚売って白状して、あんた何なんだよと言いたくなりますが、米ソと宋家の方針に逆らえなかったのでしょう…。マフィアのやる事ですし…。でもそれで日本は、非常に大損害被ってるんですけどね。

 1943年、アメリカ議会で抗日プロパガンダをぶち上げる宋美齢。絶好の大ネタ「南京大虐殺」に触れていない様子をみると、「南京大虐殺」ネタは、ケルトカルトな連中がでっち上げ、徐々に広めた事が伺えます。毛沢東も当初触れておりませんでした。

その後、宋美齢は、ルーズベルト大統領夫妻のバックアップを受け、とりあえず漠然とした抗日プロパガンダを全米中で繰り広げ、アメリカ人の意識を戦争へと導く事に成功しました。そして、沢山の支援金(ご褒美)を受取り、大金持ちになりました。最近のウクライナ大統領みたいですね。同じ手口の使いまわしです。成功した手口は擦り切れるまでつかい倒すのが、イルミのセオリーですね。

カイロ会談にも出席し、大活躍しました。

 

第二次国共合作後の介石は、米ソ宋家に手玉にとられっぱしでした。中共の盾となり、日本軍と戦い、消耗する事を強いられたのです。合作とは何ぞや。

ソ連から支援された農村労働派青幇中共は、抗日戦で消耗する国民党軍の影に隠れ、農村で農民達と農作業をしながら英気を養いました。国民党軍が敗れ去った、権力の空白地帯に入り込み、着実に地盤を広げていったのです。

一方、国民党は、アメリカから軍事支援を受けますが、ソ連スパイなアメリカ政府要人らからゴリゴリにイジメられます。

「これまでにアメリカの軍事物資で国民党軍の部隊を装備し、訓練してきたのに、今の衰えた日本の師団に対して前進できないとは何事だ」

この電文に限らず、強く厳しい調子の蔣介石宛大統領覚書がジャンジャン届くようになり、介石は衝撃を受けます。

大統領覚書を作成していたのは、ソ連スパイでフリーメイソンジョージ・マーシャルでした。先祖は、ケルト系貴族スチュアート朝のチャールズ1世に仕えた騎兵大尉でした。

マーシャルの子分で、介石の参謀長を務めたジョセフ・スティルウェルは、本国アメリカへ親共産軍プロパガンダを次々と報告しました。国共合作とはいえ、国民党軍にとって敵である中共軍に利するような作戦ばかり立てるスティルウェルと介石は対立するようになります。

最初は、美齢の仲介で仲良くやってたんだけどねぇ…。介石だけが騙されていたのでしょうか…?

スティルウェル更迭を要求する介石に対して、マーシャルは、直ちにスティルウェルに中国軍全体の完全な指揮権を渡すよう要求します。そう、例の小ワザ、大統領覚書です。

この辺りになって、何かがおかしい事を宋子文が介石に伝えます。ケベック会談に出席中のルーズべルトから、蔣介石と中国軍の戦争努力を称賛し、感謝する内容の大変温かく親しみに満ちた公電が届いたのです。アメとムチでターゲットを調教、撹乱するやり方ですね。宋子文ルーズベルトと同級生でした。裏に何か、介石を嵌める計画でもあったのでしょうか…?

これまでの大統領覚書が、ルーズベルトによるもので無いと思った介石は、中国軍の指揮権をスティルウェルに渡すことを断固として拒絶する、そう伝える公電を送りました。介石の生意気な態度に衝撃を受けたアメリカ政府は、1944年、ようやくスティルウェルを解任したのでした。

しかし、終戦後の1945年末、スティルウェルと入れ替わるように、親分マーシャルが直々に、中国全権特使として乗り込んで来ました。目的は、中国政府が共産主義少数派を力で制圧しようとしたら、米軍の支援を打ち切ることでした。

 

カイロ会談にお呼ばれされ、持ち上げられていた介石が、ヤルタ会談にお呼ばれする事はありませんでした。満州国の港湾や南満洲鉄道の権益をソ連に引き渡す密約があったからです。これを聞いた介石は、しばし沈黙した後に「実に残念なことだ」と語ったといわれています。

 

《ヤルタ劇場》

スターリンに最大限気を使うルーズベルトの巻

ル:「ちょっとあんた!スターリン閣下の前で何で帽子被ってんの!」

チャ︰「え、駄目なの?」

ル:「ちょっともう、しっかりしてよねぇ!」

チャ︰「テヘペロ

死ぬ2ヶ月前のルーズベルト、随分痩せちゃってますね。病におかされていたとは言うものの、もう役目を十分果たしたし、余計な事を喋らないよう毒でも盛られたのかもしれません。

 

第2次世界大戦後、国共内戦が始まると、アメリカは、マーシャルの思惑通り中国から撤退してしまいました。介石はアメリカに使い捨てにされたのです。

悪化する一方の戦況を打開すべく、介石は広州の秘密結社を糾合して「洪発山忠義会」(後の14K)という秘密結社を結成します。香港で騒乱を起こそうとしたのです。しかし、もうそんな余力はありませんでした。

 

なんかもう日本上陸しちゃってるみたいなんですけど、どうしてくれるんですか。

 

1949年、国共内戦に敗れた介石は、中国銀行の金庫室にあった国民党政府の預金を半分略奪して台湾へ逃れ、独裁体制を敷きました。預金のもう半分は宋一族と孔一族が着服しました。

香港へ逃れた杜月笙は、天下を取った毛沢東から、優しげに帰国を勧められました。しかし、高齢の為に上海に残った黄金栄が再教育を受けて、街の清掃をする新聞記事の写真を見て、帰国を断念しました。あんなに、ギラギラしていた黄金栄さんが…、街の清掃…。

 

 

CIAレイ・クラインと家族ぐるみの付き合いで見張られていた、蒋経国蒋介石死後、後を継ぎ、何故か民主化路線に舵を切ります。そして、22歳まで日本人として育ち、京都大学出身で客家李登輝を副総裁に引き上げます。蒋経国死後、李登輝が総統に就任。野党民進党を育て、独裁主義者の宋美齢アメリカに追い出し、台湾の民主化を成功させました。

これで単純に「良かったねぇ〜」の綺麗事で終わらないのが、当こじつけ陰謀論ブログの、こじつけ陰謀論たる所以であります。綺麗事にはワケがあるのが世の定説です。

客家李登輝は、1946年から48年まで、台湾に渡ってから中国共産党に入党していた事になっていますが、共産党に入党する為には、最低1年間の監視期間が必要とされているようなので、恐らく、中国本土にいた頃から共産党員であった可能性が濃厚です。また、そうそう簡単に抜けられないとも思われるので、もしかして終生隠れ共産党員であった可能性も捨てきれません。後年、共産党員であった事実を白状していますが、スクープされた当初、真っ向から否定している事からも後ろ暗さを感じさせます。

客家の鄧小平が中国最高指導者であった時代の、一国二制度という甘い政策によって、台湾の民主化は大きく育ちました。客家の団結力を思い起こさせます。ワザと台湾の民主化を育てたように思われます。

そして何と言っても、李登輝は、台湾基督長老教会の洗礼を受けているのです。先程も述べました通り、長老派は島ケルト御用足しの宗教です。

はい!リーチきちゃいましたね。左派ケルトカルトに1000点です。

客家のダークホース李登輝が育てた民進党の党旗。美しいケルトグリーンです。誰の司令で動いていたのでしょうか。

共産主義と民主主義のヤラセ対立が無ければ、国際世論を戦争に導けませんからね。

蒋介石宋美齢独裁国家 VS 中国共産党では、お客様を集める事が出来ません。

台湾を国家承認しないアメリカ様が、台湾に軍事支援するってのも、おかしな話です。蔡さんも客家ですし…。本当の攻撃目標は日本なのでしょう。長期的計画に沿って、一つ一つ着々とこなしていく実行力…凄いですね。やめてよ…。

この先、日本がどうなるのか。つづきは、台湾有事勃発で味わって下さい…。私は生き残れる気がしません。

アメリカとオランダが、日本人の気付かぬ内に何かやってたみたいですね。

そういえば、ルーズベルトワロン人デラノ家オランダからの移民でした。コメント欄には、心強いとの意見がありますが、果たして…。私は嫌な予感しかしません。蒋介石の国民党支援のハシゴをはずしたように、いずれきっと日本からもハシゴをはずすような気がします。ハシゴはずしの計画って、やはりジョセフ・ナイな世の中なのでしょうか。

 

ところで、宋家三姉妹の母方家系も陰謀論的にはパーフェクトな経歴をお持ちです。母、倪貴鎮は上海アメリ会衆派教会の坪文女子高校を卒業。先祖の徐光啓は、イエズス会士マッテオ リッチのもとで洗礼を受けた、大物な学者でした。

宋嘉澍と倪貴鎮夫妻

徐光啓

宋靄齢宋美齢姉妹。晩年は、ニューヨークで優雅な隠遁生活であったとは言え、何故、権力の座から追い払われてしまったのでしょうか。客家で、陰謀論的にパーフェクトな家系で、米ソの手先として活動したにもかかわらず。

それは、パズルのピースが、一つだけ足りなかったらですね。そうです。「共産主義者」のパズルです。

それでも、間接的に中共にとって功労者ですから、優雅な隠遁生活が出来たわけです。

しかし…、本当にパズルのピースが足りなかったのか…?西安事件で裏事情は分かっていたはずです。赤いエレノア・ルーズベルトともお友達でしたし。美齢は、杜月笙や青幇など裏社会を嫌っていました。分前を半分持っていかれますからね。

米ソと客家宋家の思惑は一致していたのではないでしょうか。

もしかして、美齢は民主主義の皮を被ってパズルのピースが足りない茶番を演じる、超優秀なエージェントだったのかもしれません。

物部氏騎馬民族である(と思われる)女真族や、日本の物部氏騎馬民族の野望を倒す為に、紅幇青幇杜月笙孫文蒋介石や、日本の天孫族アジア主義者らを騙して利用するだけ利用して、最後は全部まとめて葬る。凄すぎる壮大な詐欺ですね。私達庶民には表面的な出来事と綺麗事しか見せてくれません。むなしくなります。恐るべし客家宋家。

一体誰がこの計画の筋書きを考えたのでしょうか。きっと、緑色で天才的頭脳をお持ちな方なのでしょう。敵ながらあっぱれとか言う次元ではないですね。怖いぉ…。

 

長々とお読み頂き、ありがとうございました。何か書き漏らしてるような気がしますし、誤字脱字等あるような気がしますが、後でコッソリなおします。笑

今回は以上となります。

次回はいつになるかわかりません。

それでは!

(^ω^)丿丿"🐸丿丿"

 

以下、おまけです。

 

張学良氏。釈放される前年、1990年のNHKインタビュー。齢89歳で、かくしゃくと綺麗事を並べて誤魔化す様は、流石としか言いようがありません。若い頃女性にモテた片鱗が伺えます。李登輝さんとは個人的に交流があったとの事。余計な事を喋らないよう見張っていたのですね。共産仲間でしょうか?そりゃあ、蒋介石が死んだ後も、手厚く軟禁されるワケです。

 

最近知りました。笑

若い方からも学ぶ事が多いです。島ケルト、大陸ケルト。パクらせて頂きました。笑

これから、他の動画も勉強させて頂きます。

 

この方凄いですね!ロス初!日本人美人警察官とな!どうか、身辺にはくれぐれもお気を付け頂きたいです。

アイルランド系(島ケルト)梅田政権による人身売買は本当だったんですね。警察官に言われると説得力あります。フェニキア系民族は未だに他民族人身売買をやってるんですね。恐ろしい話です…。

 

↑ここ冒頭重要発言ですね。「アメリカはスコットランド人(島ケルト)がつくった」

フリーメイソンの上層部はスコットランド人と言われます。1800年代頃まではフリーメイソンユダヤ人が加入する事は禁止されていました

 

かつて日本の街であった大連。あの激動の時代の雰囲気が今もまだ残っているのですね。感慨深いです。

 

バスクのプロセスは非常にダイナミックな状態にある。彼らは、自分たちが経験していることはクルド人にとって非常に関連があると信じている。」

バスク人アイルランド人の間には常に強いつながりがありました。しかし、クルド人とこれほど緊密な関係になったことはありません。私たちは橋を架け、関係を改善したいと考えています。」

13年前の記事です。

アイルランド(島ケルト)、バスククルド、それぞれのテロ組織が会合していたようです。

埼玉で表面化している、クルド人問題。公園で祭りを開いてテロを賛美する歌を歌っているそうです。資金提供など、テロ組織PKKとの繋がりが強いとの事。

背後にケルトバスクがいたら、日本の警察は大した事出来ないでしょう。日本の暴力団と違って、国際テロ組織やチャイニーズマフィアは野放し状態。

 

「数字が客家語と似ている。1,2,3,4は客家語はイッ、ニー、サン、シーだし、漢字の読み方が中国語よりも客家語に近い!日本語はガリ勉しなくてもすっと入ったのだそうです。」

日本の上層部が客家なのでしょうか。客家が日本語を作った?かつて原日本語を話していた百済、そして天孫族。それに敵対する物部氏騎馬民族

 

↓今回も、下の記事やウィキなど、ガッツリ引用させて頂きました。沢山あり過ぎて全部載せきれていないような気がします。ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

物部氏の潰された野望①〘日本を喰い物にする上級血脈達の戦い〙

アジアの支配者、客家

ゴージャス客家の代表的存在、宋家豪傑三姉妹。今回の推しメンです。

三女美齡・長女靄齢・次女慶齢

「一人(長女)は金と、一人(次女)は国家と、一人(三女)は権力と結婚した」

                  by 毛沢東

 

こんな怖い雰囲気の大お局様三羽烏が社内にいたら、とっても大変ですね。

天才的お太鼓持ちスキルの無い方は、どんな事があっても崇め奉り、のらりくらりニヤニヤ笑顔を絶やさず空気的存在を目指しましょう。

(※お太鼓持ちスキルが中途半端ですと、悲惨な結果を招きますのでご注意下さい。)

 

すいません。しばらくサボっておりました。

自由気ままポンコツテキトー妄想過疎ブログですが、もしかしてお付き合い下さっている方がいらっしゃるとしましたら(閲覧にせよ、監視にせよ)、大変申し訳なく思っております。

そろそろ下書きを始めようと思いまして、物部氏新羅女真族清朝ですから(多分)、その次の中華民国をもう少し調べようとネットサーフィンしてみたのでした。

清朝、愛新覚羅=新羅を愛し記憶する。

結果、私的に想定外な驚きの掘り出し物を発見してしまったので、お久しぶりにこじつけ妄想陰謀論ファンタジーする事にしました。今回も相変わらず、ケルト(スコットランド)やらイエズス会やらです。

正直、ここまで掘れてしまうというのは私的に驚愕以外の何ものでもありません。あまり余計な事が流布されない日本の世の中に薄気味悪さを感じてしまいますが、大丈夫!大丈夫!

気のせいですから!(多分)

最悪な事が起こったとしても、人はいずれ死に、この世とオサラバできますから!

 

↑まずは、通州事件をご存知ない方はこちらをご覧になって下さい。(※字が小さいので老眼の方はご注意下さい。)

中国人のご主人Tさんに従い、首都北京市の東南部に位置する通州へ渡った日本人妻Sさんの証言です。

トラウマ級の残虐さですので苦手な方は、『日本人居留区で面白いことが始まっているぞと叫ぶのです』の部分まではお読みになれるかと思います。(※残虐な写真にご注意下さい。)通州事件勃発に至るまでの空気感を学ぶ事が重要と思いますから。

Sさんが通州に来たばかりの頃は、日本の関東軍に占領されているというわだかまりは多少あれども、日本人、朝鮮人、中国人、皆揉める事無く活気あふれる町でした。

それがやがて、朝鮮人達が中国人達に日本人の悪口を吹聴するようになります。初めの内は中国人達も聞き流していたのですが、徐々に中国人達の気持ちに火が付き始め、町は不穏な空気に包まれてゆきます。

そして、事件直前の頃には、不思議と朝鮮人達は影を潜めるように日本人の悪口を言わなくなっていたのでした…。

(当時は朝鮮人も日本国民でした。死亡者223人中、日本人117人、朝鮮人106人。)

 

 ↑日本側の華北分離工作により、日本側代表の土肥原賢二中華民国側代表の徳純(中国の秦氏)の土肥原・秦協定が成立しました。これにより、国民党は重要な首都北京や天津から国民党軍を撤退させざるを経なくなります。中国の秦氏さんも随分な売国ぶりですね。

その結果、1935年北京市の通州に、冀東防共自治政府(共産党を防ぐ政権)が設立されます。早稲田大出の親日家で国民党の汝耕を担ぎ出しての日本側傀儡政権です。この国民党気味の日本傀儡政権の中国人保安部隊が関東軍と共に通州を守る事になりました。

しかし、1937年7月23日。米ソの協力の元、共産党恩来と国民党の蒋介石の働きにより、抗日の為の第二次国共合作が宣言されます。恩来も蒋介石客家です。米ソ客家グルグルの八百長構図ですね。(殷、周、秦と言えば。客家の故郷的古代国家であると同時に、倭人[日本人]の故郷でもあります。)

そして、1937年7月29日、通州事件が起こるのです。

 ↑冀東防共自治政府共産党が入り込んでいた為に通州事件が起きた事が判明したよとの産経の記事。2017年。

 

きな臭い学校発見伝説。

↑これには驚愕しました。中共の扇動という事など、当時の関東軍はとっくに調べがついて報復していたのです。(中国語wikiです。日本語wikiは本当に物足りないですね。)

この北京市通州区潞河中学校 (日本語翻訳機能を使うと何故か鹿河中学校と表示されます。)は1867年アメリ会衆派教会によって設立、運営されました。アメリカ会衆派はスコットランド長老派からの分派です。

潞河中学校は高級中学校なので、日本でいえば高等学校にあたります。北京市重点高級中学校で、文武両道の名門校のようです。

1927年、中国共産主義青年団支部が校内に秘密裏に設立されました。初代書記長は朝鮮人の金成豪でした。以後、秘密裏に共産主義組織による反日活動が活発化していきました。

関東軍上層部はこの動きを察知していたと思われます。今の日本の諜報員より、自由で優秀な諜報員がいたはずですから。(最近話題の別班は米軍から予算が出ているようなので、本体は日本の組織ではありません。しかし倭人分派があるようで…。)

通州事件において、暴徒の先頭に立って過激な行動を主導し、中国人保安部隊を誘導していた学生団がいたというのは有名な話ですね。その学生とは、ここの共産党秘密結社の学生だったのではないでしょうか?

しかし、事件当日まで関東軍は北京・天津で国民党軍と激突していたので、どうする事もできなかったのです。

通州事件の裏にアメリケルトの影…。キリスト教と左翼のコンビネーションは本当に多いです。

争わせて分断して統治するという有名な手法ですね。

それでは、今回の推しメン3姉妹のご主人様方をそれぞれチェックしてみましょう。

まずは、長女、宋靄齢のご主人様から。

孔子の子孫を自称する孔祥熙は、あの北京市通州区潞河中学校の卒業生です。アメリ会衆派教会の洗礼を受けました。卒業後はアメリカへ渡り、オーバリン大学やイェール大学を卒業しました。(桜美林高校・大学の名の由来はオーバリン大学だそうです。桜美林といえば…スーパーナンペイ…。中国人容疑者…。孔子といえば不穏な噂の多い、孔子学院。桜美林大学孔子学院は東日本では最初に設置された孔子学院です…。)

イギリスのアジアシェル石油山西省での独占代理権を獲得し、莫大な利益を得た後、来日しました。東京では中国人YMCAの総幹事を務めていました。 YMCAはイルミナティの下部組織と言われますね。そして、宋家の長女、靄齢と横浜で結婚式を挙げました。クリスチャン同士の結婚でした。

横浜といえば、かつて存在した外国人居留地。イギリス人、アメリカ人、ドイツ人だけでなく客家華僑も多く住んでいました。関東大震災で欧米人が帰国してからは、客家華僑の中華街になりました。欧米と客家華僑の癒着が垣間見れるというものです。

孫文蒋介石を支え、国民党政府の財政を握り、孔家宋家夫婦で、国民党政権や民衆から財産を巻き上げ私服を肥やしました。クリスチャンてそういう感じなのですね。綺麗事で身を包みながら…。

 

お次は、次女、宋慶齢のご主人様。

孫文といえば客家ですね。日本名、孫中山。生粋の弥生系平たい顔族漢民族と違い、客家は目鼻立がハッキリとして左右対称で整っております。一応、客家漢民族の一派とされますが、ネアンデルタール人の血が濃い縄文人系統ですね。ネアンデルタール人の血液型はRh−だったそうですが、客家にもRh−が多いとの事。漢民族と同族のふりをして、大量にいる漢民族を誘導しているのではないでしょうか。数世紀に渡り、漢民族大量募集中!

先祖には、「戦わずして勝つ」の兵法で有名な孫子や、三國志でお馴染みの呉の孫権などがおり、名門の血筋です。今の日本においては、大量な漢民族移民で、戦わずして負けそうな勢いであります。

若い頃には、ハワイの英国国教会ウィリス司教が運営する教会学校であるイオラニ大学や、アメリ会衆派教会が設立したオアホアカデミーへ留学しました。

帰国後は、アメリカ会衆派宣教師ヒガーリ牧師の庇護の元、香港の会衆派教会に入学。その後、イギリスにより設立された香港中央学院に転校、キリスト教の洗礼を受けました。

そして、ロンドン宣教師協会と提携している香港の中国医学大学に入学。校長はスコットランドの有名な医師キャントリーでした。優秀な孫文キャントリー先生から非常に可愛がられ、クリケットのプレーも教えてもらいました。

この頃、広東最大のマフィア「三合会」(洪門、トライアド)の会長であった父親の達成が死去し、孫文は22歳の若さで跡目を継いで「三合会」の会長に就任しました。

三合会の祖は洪門。洪門の設立は明末清初、日本では江戸時代初期ですね。合言葉は“反清復明”、打倒!女真族!ですね。その洪門のカリスマであった鄭成功は、カトリック教徒で海賊漢民族の父と日本人の母から産まれた、日漢ハーフでした。

鄭成功は、明の洪武帝 朱元璋の末裔、隆武帝から国姓である「朱」姓を賜りました。

※明の洪武帝 朱元璋は、後ほども出ますので、ぜひ覚えておいて下さい。

台湾では、孫文蒋介石と並び、「三人の国神」として崇められています。何だかんだ言っても、台湾も漢民族の国なのです。

↑日本産まれ、日本育ちの鄭成功

↑香港での民主派デモ隊を襲撃していた恐るべき組織、三合会…。

首席で卒業した孫文は、ポルトガルの植民地マカオで、表の顔は内科医として働きながら、裏の顔、「三合会」の親分として革命活動を開始します。働き者な親分ですね。

1895年、香港で、「満州族絶滅!漢民族復興!」を合言葉に、三合会から荒くれ者突撃隊を選抜し、興中協会を結成!最初の武装蜂起を起こしましたが失敗、日本へ逃亡しました。横浜興中協会支部を設立、その後はサンフランシスコにも興中協会支部を設立、香港の革命拠点やホノルルの興中協会本部とも連携を取合い、革命活動を秘密裏に進めました。

※興中協会=漢民族の中国を復興させる協会。

1896年9月30日、孫文キャントリー先生からの招待を受けてロンドンへ渡ります。英国の清国大使館に逮捕され、強制送還されそうになるなど、一悶着ありましたが、キャントリー先生のご活躍により無事助け出されました。

この事件により、孫文は世界的革命家として人気者になります。

このように、危ない人物を必死でフォローし、世界的英雄に仕立て上げるとは、これいかに。キャントリー先生のお里が知れようというものです。

ケルト民族、ジェームズ・キャントリー先生

翌年の1897 年には、再度日本の横浜に上陸。犬養毅頭山満黒龍会メンバーなど、アジア主義者らの世話になります。

アジア主義者らは、マフィアの親分でもあり、世界的革命家として人気者でもある孫文に、せっせと衣食住・活動費など巨額な支援金を上納しました。また、中国に正妻がいるのに、日本人の妻や愛人のアテンドも抜かり無くキッチリこなしました。

随分、気合の入った上納システムですね。と、言いますのも、孫文が何の権利もない満州頭山満に譲渡するなどと、騙したからなのですね。笑

マフィアの親分の詐欺は、スケールが違います。客家人マフィア組織の背後に蠢くケルトカルト神智学人脈を思えば、騙されたふりをして上納せざるを経ない事情があったのかもしれません。

犬養毅(犬飼氏)といえば、古代皇族の末裔。桃太郎伝説のお供の犬のモデルになった氏族ですね。

鬼の正体は百済の王子、温羅(うら)。さらに温羅の正体は百済の王子、扶余豊璋との説がありますね。

その昔、滅亡寸前の百済を再興する為に、百済の王族であり忠臣の鬼室福信が、皇極天皇へ豊璋王子の帰還と援軍を要請しました。古代天孫族は濊、扶余からの百済と同系ですので、皇極天皇はこれを快諾。優秀な秦田来津(はたのたくつ:秦氏)をお付きにさせて、豊璋王子と援軍を送り込みました。百済系と秦氏のコンビネーションです。

しかし、豊璋王子は我儘放題に振る舞います。戦争中であるにも関わらず、福信や田来津の忠告を無視して、都を険峻な要害の地ではなく、低地で暮らしやすい避城へ遷してしまいます。言うまでもなく、これが仇となり、遷都後間もなくあっさり新羅に攻め込まれてしまいました。

百済軍の統率を担っていた鬼室福信を豊璋自ら殺害した上、秦田来津まで戦死したのに、自分だけ脱出して日本でのうのうと暮らしていたら、そりゃあ天孫族桃太郎に討ち取られようと言うものです。

扶余豊璋の振る舞いを鑑みるに、もしかして、ケルト物部氏の策略通りに動いていたのかもしれません。敵(新羅)に塩を送るような動きをしていますからね。豊璋王子を洗脳して抱き込んだか、こっそり新羅人とすり替えたのかもしれません。新羅物部氏が建国したであろう事は、以前ブログで述べた通りです。

↑前列中央孫文、右隣頭山満

そして、特筆すべきは頭山満や、八咫烏下部組織と言われる黒龍会など、大アジア主義者らです。

↑前列左頭山満、右から2人目、今年から万札の顔になる渋沢栄一。別名、客家人大学とも言われる国士舘大学創設協議中の撮影。(韓国文在寅元大統領のお嬢さんが留学していたり、北への送金機関ではないかなど、怪しい噂てんこ盛り大学ですね。)

頭山満白頭山満州

イエズス会士でイルミナティ創設者のヨハン・アダム・ヴァイスハウプト

ヴァイスハウプト=白い頭

白頭山満州というと、物部氏新羅満州族(女真族)を思い浮かべますが、頭山満氏の場合は違います。

白頭山という呼び名は、上記の通り、イエズス会イルミナティ風です。その昔は、太白山満州族は長白山と呼んでいたのに、いつの間にか白頭山が定着してしまいました。満州族だけでなく、百済高句麗の扶余にとっても大切な山ですね。

頭山満氏は、満州に影響力を持っていた関東軍と距離を置き、満州族清国に敵愾心を燃やしていました。若い頃の思想は、幕末当時タブーの勤王派。西郷隆盛を熱烈に尊敬しておりました。

西郷隆盛氏の西郷氏は、菊池氏流西郷氏と言われ、百済の第25代王・武寧王の流れを汲む、百済系渡来氏族とする系譜が存在するとの事。薩摩藩主の島津氏は秦氏。ここでもやはり、百済系と秦氏のコンビネーションです。

西郷隆盛と言えば、敬天愛人です。この敬天愛人とは清国の康煕帝イエズス会に贈った言葉です。康煕帝は、文武両道、質素倹約な中国歴代皇帝の中でも一二を争う程の大君ですが、西洋文明をエサにイエズス会に騙くらかされておりました。織田信長みたいですね。西郷隆盛氏が何故敬天愛人を用いるようになったかと言えば、それはフルベッキ氏の影響でしょう。洗礼も受けていたと言われます。フルベッキ氏は、イエズス会の別動隊、オランダ・カルヴァン派でした。

アジア主義者らの背後に漂う、イエズス会イルミナティの影…。ここまで臭うと…あいつらもいるはずだ…。ネットサーフィンしました。

↓ありました。インド独立運動ロシア革命を扇動したあいつら…。そう…ケルト系神智学協会。

黒龍会亜細亜時論』14巻5号(大正9年5月1日)

昨年の甲子園野球の応援で、そのカルト性が盛大にバレてしまった慶応大学で教鞭を取っていたジェイムズ・カズンズ氏が神智学協会の本場、インドへ旅立ってしまう事を惜しむ記事。

ジェイムズ・カズンズ氏は、アイルランド(ケルト)出身の神智学徒で、神智学協会東京支部を創設しました。

黒龍会亜細亜時論』の4巻4号(大正9年4月1日)掲載の「姉妹誌エシアン・レビユー発刊披露会」によると、同年3月6日に築地精養軒で開催された同会には、大アジア主義者らと、ジェイムズ・カズンズ氏が出席していたとの事。

頭山満の、インド、中国、朝鮮への独立運動支援はケルト神智学協会の行動そのものですからね。その行動についてはこれまでブログ内で述べてきた通りです。

日本の上層部と言われる八咫烏の下部組織がこれですから、上層部がどうなっているかは言わずと知れた事。すでに我々国民を棄民している最近の日本政治情勢を見ても、異民族やカルトに侵食され、取り返しのつかない事になっている事は明らかであります。

騎馬民族に煮え湯を飲まされてきた、客家漢民族百済系扶余族が、イエズス会イルミナティケルト神智学協会の仲介で、タッグを組まされているようにも見えます。

それでは、孫文に戻ります。

1915年頃、孫文は中国の妻と離婚し、宗家の次女、宋慶齢と27歳もの歳の差を乗り越え、東京で結婚しました。この結婚は、大アジア主義者らが整えたといいます。ちょっと面倒見過ぎじゃないですかね。

同じ客家・クリスチャン同士の結婚でした。長くアメリカに留学していた慶齢は、北京語と広東語ができず、また、孫文上海語ができなかった為、夫婦の会話は英語でした。

この頃、中国全土で「抗日愛国運動」の五・四運動が広まり、ロシア革命が起ります。

夫婦はマルクス主義へ傾倒していきました。ロシアからコミンテルン代表のボロディンを国民党最高顧問に迎え、赤軍にあたる国民革命軍と軍官学校を設立しました。このような状況ですので、中国共産党中国国民党は「異母兄弟」であります。

1923年には、ソ連代表アドリフ・ヨッフェとの共同声明「孫文・ヨッフェ共同宣言」を発表。ソ連からの支援を取り付けます。この辺りから反共的風な蔣介石と表向きは対立する事となります。

そして、1924年1月、第一次国共合作ソ連の協力のもと、毛沢東共産党員が個人として国民党に加入する党内合作の形式を取りました。目的は、「打倒英国!満州族絶滅!漢民族復興!」です。10月には日本の神戸にて、「大アジア主義講演」を行いました。

「弱小民族および国家は、いずれも中国を宗主国となし、中国に朝貢することをもって光栄とし、朝貢できないことを恥辱としていた有り様であった」

「ロシアの新文化(共産主義)は、わが東洋古来の文化に合致するものであって、彼らは東洋と手を握り、西洋より分家しようとしているのであります。」

ロシア共産主義と中国漢民族は、共産主義クラブで今めっちゃ仲良くやってるよ。子分の日本も仲間にしてやるよ。共産主義がロシアを含めた東洋の王道だよ。との事です。一般日本国民からしたら迷惑な勧誘でしかない、カルト的迷演説でした。また、「打倒英国!」を掲げ、インド独立運動を支持する姿勢は、ケルト系神智学協会の思想と一致します。

1925年、志半ばで孫文死去。その後、妻の宋慶齢は、国民党を脱退。第二次国共合作成立に尽力し、宋家の三姉妹で抗日統一戦線の象徴として戦地での慰問等の活動を行う政治的なプロパガンダ活動を精力的にこなしました。中華人民共和国成立後は中央人民政府副主席を務めるなど、毛沢東の庇護のもと、中国革命の国母として出世街道をひた走りました。ちなみに、孫文中華人民共和国において革命の国父として崇められています。八咫烏下部組織、大アジア主義者らの正体が仄見えてきますね。極右の皮を被った極左です。日本の上層部は皆、共産主義カルトです。

ケルト系カルト>大陸客家八咫烏

という序列も見えてきます。

あの恐ろしげな三合会よりも、まだまだ上がいるのかと思うと、失神してしまいそうです…。

ところで、孫文には日本人の軍事顧問がいました。大日本帝國陸軍、佐々木到一氏です。新国家・満州国満州国軍創設に関わり、後に、満州国軍政部最高顧問に就任しました。別名、佐々木蒙古王人民服の考案、デザインを行ったともされます。

↑佐々木到一氏

佐々木氏といえば佐々木源氏。

全国の佐々木さんのルーツは、ここ一箇所。滋賀県にある沙沙貴神社。佐々木源氏の神社です。ですので、佐々木さんは源氏なのです。

近江の源氏には、佐々木源氏だけでなく、新羅源氏もおりました。源頼義の三男、新羅三郎義光については、前々回の物部氏の記事の中にも少し書きましたが、やはり、思い起こされるのは、こちらの記事。↓

無駄に長いので、ノモンハンの部分だけ抜き出しました。

源氏、新羅女真族(満州族)、蒙古。

佐々木到一氏の別名、佐々木蒙古王…。

物部氏の香りがしてまいりました。

佐々木到一氏は、陸軍退役後は満州国協和会の理事に就任しました。

↑なんと、満州国協和会の制服が7,500円で落札されておりました。まるで人民服ですね。立折襟です。

立折襟のルーツはモンゴルの民族衣装デールの詰襟です。

蒙古族のデールが、同じ騎馬民族女真族(満州族)に広まりました。

源氏とつながりがある、蒙古族満州族(女真族)の民族衣装を漢民族の人民服として、こっそり忍ばせるとは、やりましたね佐々木先生。笑

ロシア、ナホトカの建物に源氏の笹竜胆紋が!?中国、公主嶺市に義経の墓が!?(ノモンハンじゃなくて!?)大陸東北部沿岸の粛慎・挹婁を従えていた奥州藤原氏!?

※粛慎の後裔が挹婁。挹婁の後裔が女真族

アジアの天下取りを賭けて、物部新羅女真族蒙古族騎馬民族チームと、客家漢民族扶余族の農耕民族チームがバトルを繰り広げるという結構わかりやすい構図になっているようにも見えます。

ノモンハンには、騎馬民族チーム満洲国協和会派閥にとって、やはり何か重要な物があったのでしょうか?

 満州国協和会…。関東軍が中心となり、社会主義共産主義的色合いの強い組織。公然と満州での一党独裁を目指しており、形だけ名誉総裁の愛新覚羅溥儀にちょっぴり嫌がられていた組織…。

 

やらなくても良いノモンハンでの紛争を、謎に拡大させ暴走していた辻政信。その辻の暴走を黙認し、握りつぶしていた板垣征四郎

東條英機に可愛がられていた甘粕正彦は、ノモンハン事件のドサクサに紛れて何かを探していた…。

上記の佐々木到一や、板垣征四郎甘粕正彦満州国協和会の重要人物ですね。

戦後、統制派の東條英機板垣征四郎A級戦犯甘粕正彦は自殺。佐々木到一はシベリア抑留後、中国に送られて死亡。物部氏の野望は上手い事片付けられてしまいました。

フリーメイソンではないかと噂の石原莞爾は上手く逃げました。

ちなみに、満洲国協和会の重要人物、小澤開作は三男に、板垣征四郎石原莞爾から一文字ずつ頂戴して、征爾と名付けました。そう、最近お亡くなりになった、小澤征爾氏ですね。

 

そして…、爆弾投下。笑。とは言えまぁ、ネットに転がってる情報ですからね。本当かどうかも分かりません。しかし…、火のないところに煙は立たないと言いますからね。

皆が気になる孫中山という日本名。

そのルーツは、藤原北家支流にあたる公家・華族、京・中山家にあります。家格だけ立派な貧乏華族でした。

そんな中山家ですが、第119代光格天皇の第六王子、中山忠伊が臣籍降下してきた事により、世に怪しい光を放ち始めます。

そう…、人名でのウィキが無い、忠伊の息子、中山忠英こそが…、孫文を、猶子(養子)にしました。中山忠英は大日本皇道立教会の初代会長です。この大日本皇道立教会が、後の創価学会になる事は、陰謀論好きにとっては基本中の基本でありますね。

京中山家→三合会(洪門)、孫中山(孫文)→大日本皇道立教会創価学会

創価学会漢民族中共寄りなのも頷けるというものです。

大日本皇道立教会の幹部には、頭山満などの、アジア主義者らや、イエズス会の別動隊、フルベッキ先生の教え子大隈重信西郷隆盛の後輩で男前な東郷平八郎藤原氏のフリをした秦氏の波多野敬直などがおりました。会員には、日本でのニューエイジの先駆者、中村天風がおりました。ニューエイジとは、ニューソートと神智学を混ぜたカルト思想です。

秦氏百済天孫族(皇族)、漢民族イエズス会、神智学、カルトな農耕民族チームの香り満載です。

この、中山忠英ですが、なんと!黄龍会の会長であったとも言われています。八咫烏の下部組織、五龍会のトップは黄龍会と言われます。目立つ風な赤は目眩まし。本当のトップは一番目立つ黄色(金色)なのです。

第二次世界大戦で目立っていた、黒龍会と緑龍会。特に、あの一連のオウム事件では、尻尾を見せていたと言われる緑龍会。下っ端の黒と青(緑)が必死で、上の、白、赤(朱)、黄をカモフラしているのでしょうか。お疲れ様です。

※あの一連のオウム事件、本当にヤバい人達(組織)はTVにいっさい出ていないそうです。カモフラ兵器TV。

八咫烏五龍会を仄めかすようなカラフル戦隊シリーズを制作し続ける東映。初期の東映には、甘粕正彦氏が理事長を務めた、満映の多くのスタッフが参加していたと言います。騎馬民族チームによる嫌がらせですね。

八咫烏総長:堀川辰吉郎

緑龍会総長:上田吉

赤龍会総長:上原勇作

黄龍会総長:中山忠英

白龍会総長:杉山茂丸

黒龍会総長:永野重雄

↑よく見ると、全員、カルト神智学アジア主義な農耕民族チームです。物部氏騎馬民族チームは、八咫烏クラブから弾き出されているようです。騎馬民族チームも八咫烏内の一派だと思っておりましたが、勘違いだったようです。申し訳ありません。このあたりの事は、今後の課題にしたいと思います。

 

↑忠伊の孫、中山忠能は、大正天皇の養育掛でした。

中山忠能の麗しい娘の慶子は、孝明天皇典侍(妾)となり、後の、怪しい噂てんこ盛りの明治天皇を世に産み落としました。

↑慶子の弟さん、中山 忠光は過激な尊王攘夷派で、暗殺されてしまいました。犯人が、どのチームかは、もうおわかりですね。

忠光の娘、南加の孫が、あの愛新覚羅溥傑に嫁いだ嵯峨浩さんです。激動の時代に翻弄され、皇帝の親族としては質素な生活ながらも仲の良いおしどり夫婦であった事で有名ですね。上品でお綺麗な浩さんがお嫁に来てくれて、溥傑さんも嬉しそうです。良い写真ですね。意外な事に、この政略結婚は関東軍がまとめました。凄いですね、藤原氏って。両建てで器用に生き抜くんです。敵方に大切な娘を嫁に出すとは、アクロバティックな離れ技です。まぁ、王侯貴族とは古今東西いつの時代もそういうものですかね。この世で密かに、そして最も重いものは高貴な血脈ですから。庶民の血など何の価値もありません。仲良くケンカしてろって感じです。

 

天孫族(皇族)と漢民族のタッグによるアジア主義といえば、思い起こされてくるのがこの方。自由を愛するフリーメイソンな皇族、東久邇宮稔彦王伏見宮系列の方ですね。

敗戦直後、「国民全員が天皇に敗戦を詫びる」という「一億総懺悔」発言で物議を醸した人でした。国の上層部派閥争いの満州争奪戦のせいで、太平洋戦争に巻き込まれた被害者である国民を悪者にするなんて極悪非道ですね。この発言を吉田茂がアレンジして、謝罪相手を天皇から、米ソやアジア諸国にすり替えて、自虐史観が生まれ、戦争責任がウヤムヤになりました。ふざけるのもいい加減にしてほしいものです。

ケルト神智学協会、イエズス会イルミナティ、農耕民族チーム、騎馬民族チーム、お前らが日本の一般国民やアジア諸国の一般国民に謝れ。と言いたくもなります。

この東久邇宮稔彦王は、一応は太平洋戦争回避に尽力したり、開戦直後は、神智学クラブの使い走りチンピラ右翼の頭山満(失礼!✋)を自邸に招き入れて、蒋介石との和平交渉を打診したりなどしていました。皇族がチンピラ(失礼!✋)を自邸に上げるなんて不自然ですね。アジア主義者確定です。もしくは騙されていたか。後に、「勝手な事をするな」と騎馬民族チームの東條英機に怒られてしまいました。

蒋介石を祀った中正神社(何故か愛知県に所在)。新興宗教である、宗教法人山蔭神道が管理する神社。教義や行法には修験道神智学吉田神道など時代や教義を問わずさまざまな宗教の影響がみられるとの事。神智学…。宗教は混ぜるな!キケン!✋

 

ところで、東久邇宮稔彦王には、妙な噂がありますね。

昭和天皇貞明皇后秩父宮高松宮

秩父宮高松宮、は貞明皇后東久邇宮稔彦王との子供なのではないかと…。

昭和天皇は、貞明皇后西園寺八郎(長州毛利家)との子供だとの事…。

さらに、貞明皇后の母親は、明朝創始者洪武帝   朱元璋の末裔とされる、朱貞明であったというのです。既に日本の皇族はチェックメイト状態。女性天皇爆誕し、愛子様漢民族系列のお婿さんをお迎えすれば、ゲーム終了という事でしょうか?

そしてあの226事件、反乱を起こした青年将校らが期待を寄せていたのが秩父宮ですね。青年将校らは処刑前に秩父宮万歳!」と叫んだとも言われます。天皇の座を昭和天皇から秩父宮へ譲位させるのが目的だったのではないでしょうか。秩父宮貞明皇后から溺愛されていたと言いますが、上の噂が本当だとすれば、漢民族朱元璋末裔の血脈と日本の伏見宮系皇族との血脈の方が、長州の武家との血脈より、ステータスが高いですね。

もしかして、226事件の首謀者は、漢民族貞明皇后伏見宮博恭王の2人だったかもしれないとの疑惑が湧きました。

伏見宮博恭王

東久邇宮稔彦王伏見宮博恭王は従兄弟関係ですしね。

今更出てきた海軍の秘密文書。何だか、おかしいですね。海軍は陸軍皇道派青年将校らを監視したり、接触があったり、事件決起を一週間程前から察知ていたと言うのに、昭和天皇へ報告しなかったんですね。海軍の実権を握っていた伏見宮博恭王が知らなかったわけがありません。

事件勃発直後、昭和天皇伏見宮博恭王を真っ先に呼びつけて「海軍の青年将校は事件に参加しないよね!」と、釘を刺しています。一番の疑惑の人物だったのではないでしょうか。

秩父宮は、事件翌日、任務先の弘前から大急ぎで帰京して昭和天皇に拝謁します。が、当然怒られてしまいました。汗

その後、貞明皇后邸へ赴き、長時間籠っていたといわれます。ちょっとやり過ぎたから大人しくしようね〜。など話し合ったのでしょうか。

 

↑戦後、傍系の伏見宮系列皇族の臣籍降下。この人らを追っ払いたいと一番願っていたのは、昭和天皇だろうなとは常々思っていましたが、やはり、ありました。

真っ先に臣籍降下を願い出たのは、例のアタオカ皇族、東久邇宮稔彦王でした。この方は、若い頃から明治天皇臣籍降下を願い出るなど、ヤンチャな方なので納得です。

問題は、昭和天皇がどうだったのかです。

昭和天皇は11月29日、皇族たちに対し、「色々の事情より直系の皇族をのぞき、他の十一宮は、此際(このさい)、臣籍降下にしてもらい度(たく)」「時期は来年(47年)一月末か二月頃がよかろう」と通告した(『梨本宮伊都子妃の日記』)。昭和天皇宮内省と一体となって宮家の皇籍離脱に動いた昭和天皇皇籍離脱を迫るGHQに抵抗したと主張する人がいるが、そうした史実は全くない。

との事です。笑

よっぽど邪魔だったんでしょうね。国破れて長州閥昭和天皇一人勝ち。

憲法成立前に追い出したかったようですが、GHQに新憲法成立後に新しい国会で、皇籍離脱一時金の審議をしろ、と釘を刺されてしまいました。そりゃそうですよね…。

旧皇族皇籍復帰希望者らが新憲法下でも継承権があったと主張できるのは、GHQが「待った」をかけたお陰。との事。もう、復帰は無いと思いますが、もうこれ以上怪しい皇族なんかいりませんよ。

 

そして、今回の最後に、これだけは書いておきたい事があります。

アイルランド系(ケルト)の下級貴族、バートランド・ラッセル。左翼系哲学者です。

この方は、1920年に中国に招かれ、1年弱、様々な大学で共産主義の基本理念を教えて回りました。その中には、若き日の毛沢東もおりました。やっぱりケルトが中国で共産主義を煽っていたのです。

ラッセルは、中国の古い文化を褒めちぎり、日本の文化を憎んでおりました。

孫文は、「中国の文明がわかるものは、ラッセルのような大哲学者しかいない。」と絶賛していました。

しかし、さすがの魯迅は見抜いておりました。「中国人は劣等人種であって、従来のままの有り様でいるより他に能がないと考え、故に、中国の古い物を褒めるのだ。」と…。

何故、同族であろうケルト物部氏騎馬民族チームを見捨てて、漢民族百済農耕民族チームをケルトカルトがサポートするのか。

うかうかしていると、器用に勢力を拡大する力がケルト物部氏騎馬民族チームにはあると判断し、警戒したからなのかもしれません。

かつて、物部守屋を討ち滅ぼした蘇我氏系の氏族である岸田氏、岸田文雄総理大臣が、人気低迷にもかかわらず、台湾有事を目前に控えた今現在、図々しく居座っているのも、物部氏騎馬民族チームへの牽制メッセージなのかもしれません。

彼らは日本を憎んでいますから、いずれ日本の農耕民族チームからも手を引くでしょう。

台湾有事の本当の攻撃目標は、日本であるに違いありませんから。

 

大変長くなりましたので、今回はここまでにいたします。次回は、本丸の蒋介石と宗家三姉妹について、また長〜く書きたいと思います。(いつ更新できるかはわかりません)

その後で、物部氏の呪い②も、やる予定です。

(;^ω^)🐸

 

明日は、2月26日です。

226事件のあった1936年も閏年でした。

上官の命令に騙されて、真面目に従って行動していたのに、気がついたらいつの間にか「叛乱軍」にされてしまっていた若い兵隊の皆様へ、心よりお悔やみ申し上げます。

 

それでは!

(^ω^)丿丿"🐸丿丿"

 

↓今回も、大量なウィキや、自分のメモの切れっ端、下記記事などをガッツリ引用させて頂きました。有難う御座いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

http://www.meix-net.or.jp/~minsen/kako/murakami/murakami2.htm 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

https://tunobue.chips.jp/v10.html 

 

 

 

 

 

日本がボロ負けさせられてから78年

即席で上げさせて頂きます。

終戦記念日という言葉は好きではありません。

記念日という言葉はお祝いの意味合いが強いからです。

終戦記念日」という言葉を聞くと、きっと多くの人が「あの悲惨な戦争がやっと終わった日だ。戦争が終わって民主化して良かったね。」と思うのではないでしょうか?

何も良くありません。アメリカカルトの指示通り、統制派(連合国ソ連スパイ)贔屓の昭和天皇フリーメイソン日本海軍が引き起こしてくれた無謀な戦争。本格的な終わりの始まりです。

以来日本は滅亡へとひた走っています。現在、この日本が再び軍事国家へと回帰しそうな情勢である事は多くの報道から読み取れる状況であります。もう誰も止める事は出来ないでしょう。

 

こんなに楽しそうに笑ってらっしゃる写真があったのですね。

作戦大成功!!といった所でしょうか。

 

 

1975年10月31日。

広島市民には気の毒であるが、やむを得ない事と私は思っています。」

まるで他人事ですね。30年経ったからもう良いでしょ忘れようよ。というお気持ちがだだ漏れですよ陛下。しかも長崎市民へは一言も無し。

締めはTV局の視聴率競争で笑いを取る。さすがです。

報道陣の方々も皆様とても楽しそうで何よりです。

 

そして、1985年8月12日。戦後40年で引き起こされた悲惨な事件。JA8119機、日本航空123便墜落事故

 

 

 

 

 

ミサイルでは、きっちり命中し即バラバラになってしまう。

この黒田氏の説は、講演会でお茶を飲んで即死した、あの佐宗氏の説とほぼ同じです。

中曽根元総理自衛隊が悪玉説は…。

あちら側による意図的なスピン情報と私は思います。最初から最後まであちら側の仕業。振り回される日本人を痛めつけて楽しんでいるかのようです。

旭川で大量に発覚する未成年少女に対する凄惨な事件を思い浮かべてしまいます。あそこは既に学校、教育委員会、警察が機能していません。圧倒的暴力が正義になっています。

そこは特亜系外国人だけでなく欧米(連合国)の力も密かに強くなっているはずです。米軍もいませんから、またいつロシアに占領されるかわからない状態です。

旭川の数々の凶悪事件をみると、マニュアルがあるように思います。

尼崎連続殺人事件が、まだ発覚前の北九州監禁殺人事件の手口を警察からリアルタイムで仕入れていたように。

今、日本は裁判所も警察も政治もほとんど機能不全な状態であります。機密情報もだだ漏れです。

さあ、残念ながら、日本の未来はもう説明するまでもありませんよね。

 

マウイは樹が燃えてないのに、家だけ燃えてるよ。

最近話題の指向性エネルギー兵器。

 

 

大谷選手…。大丈夫でしょうか。

これがあちら様の本音です。