机「9」文字事件
Qケルト語
3×3=究極の数字9 モルガン
ケルト究極の数字の9→アルファベットのq→Qケルト語→Qアノン
前回の記事で、インド独立運動での神智学協会と左派政党と(ケルト系民族)アイルランド人の関わりについて触れました。
今回の記事のテーマ、ロシア革命にもそれらが関わっていたとしたら…。こじつけ陰謀論ファンタジーにチャレンジしてみたくなりませんか?
というわけで、早速、執念のネットサーフィンで得た情報を元に陰謀論ファンタジーしてみたいと思います。今回は少しユダヤ問題もファンタジーしてみました。
〈エミール・ジョセフ・ディロン〉
アイルランド人。作家、ジャーナリスト、言語学者。デイリー・テレグラフの特派員でした。イスラエルの建国やロシア革命に繋がってゆく、数々の有名重大事件を報道しました。ロシア正教会に興味を持ったという建前でロシアのウクライナ地方に入り、ロシア帝国の大物大臣セルゲイ・ヴィッテ伯爵と友人となります。ロシア革命直前までセルゲイ・ヴィッテ伯爵の側近を務めました。ゾルゲの例もあるように、ジャーナリストでこの感じは工作員確定と思われます。
《報道した事件》
・1894年 オスマン帝国でのアルメニア人虐殺→スンニ派イスラム教のオスマン帝国で起きたキリスト教徒アルメニア人虐殺事件。シオニズム運動主導者でジャーナリストのアシュケナージユダヤ人テオドール・ヘルツルはこの事件を利用しました。当時オスマン帝国領だったパレスチナにユダヤ人国家樹立の要請をする代わりに、ヨーロッパへ向けて悪化しているオスマン帝国の印象を良くするような報道をしました。
・1899 年 ドレフュス事件裁判→アルザスフランスのユダヤ系砲兵将校ドレフュスが、スパイ活動の罪を着せられて終身刑を言い渡された冤罪事件裁判。1906年に逆転無罪。この事件の影響で、シオニズム運動主導者テオドール・ヘルツルは1897 年 8 月 29 日スイスバーゼルで第 1 回シオニスト会議を開催しました。あの有名な「シオン長老の議定書」が披露された会議ですね。後に日本政府もこの「シオン長老の議定書」を入手。満州にユダヤ人国家を誘致し、欧米のユダヤ人富豪に媚びを売ろうなどと甘い事を考えました。河豚計画ですね。
↓シオニズム運動主導者テオドール・ヘルツル。オーストリア帝国出身のアシュケナージユダヤ人。ヘルツルはイスラエル建国の地はアフリカでも南米でも良いとの考えでしたが、狂信的シオニズムな東欧のハザールユダヤ人達は「約束の地エルサレム」があるパレスチナでないと意味が無いとして強く反発。富豪ロスチャイルド一族がハザールユダヤ人達の考えに協力する形で、第一次世界大戦後のオスマン帝国崩壊からハザールユダヤ人のパレスチナ大量入植が始まったのでした。(オスマン帝国崩壊前から徐々に始まっていました。)
シオニズム運動の主導権は一部の狂信的なハザールユダヤ人達が握りました。殆どのユダヤ人達(アシュケナージもハザールも)は自分達が暮らす町でキリスト教社会に同化して静かに生きてゆこうとしており、狂信的シオニズムユダヤ人とは対立しました。狂信的ユダヤ人主導者達はナチスドイツと裏で手を組み、イスラエル建国に従わないユダヤ人を一掃する作戦をとりました。ホロコーストですね。また、ユダヤ人富豪というのは、同胞だけれども邪魔で非力な貧乏ユダヤ人には非常に冷酷で無関心。欧州で溢れかえったユダヤ人難民に救いの手を出しませんでした。その厳しさや事情を日本政府はわかっていませんでした。オスマン帝国崩壊後、パレスチナはイギリス領となり、イギリスとナチスドイツは手を組んでパレスチナのユダヤ人入植者が作る農産物で儲けておりました。
※ハザールユダヤ人とは、7世紀から10世紀頃存在したハザール・カガン国(現ウクライナ)の改宗ユダヤ人です。現在はウクライナなど東欧地域のユダヤ人。アシュケナージユダヤ人はドイツやポーランドを中心にして西欧地域に広がるユダヤ人。
↓ユダヤ人問題についてはこちらを参照させて頂きました。
・1900年 清朝末期、義和団事件→欧米列強や日本及び、清朝国内に浸透するキリスト教徒への強い反感と清朝への愛国心が宗教的秘密結社義和拳教を結成させました。義和拳教の元は白蓮教です。各地で起きた義和団の乱がやがて、清朝(義和団含む)vs欧米列強+日本の戦争へ発展。戦後の清朝は半植民地となり、満州族と漢民族の対立が激化。後の辛亥革命へと繋がります。また日本とロシアの関係が悪化、後に日露戦争へと発展していきました。
※「白蓮教」とは「マニ教」と「弥勒信仰」をインド貴族の僧侶が亀茲国(新疆ウイグル地区)で混ぜてつくって広めたカルト仏教です。先ず手始めに中国大陸で覇権を争っていた東晋と前秦にそれぞれスピリチュアル的怪僧を送り込み、どちらの国も短命で悲惨な最期を遂げました。ロシア帝国末期のラスプーチンみたいですね。これを皮切りに中国での代々の王朝は白蓮教の反乱に悩まされる事になりました。朝鮮半島や日本に伝来した仏教もこのカルト仏教の影響を受けています。日蓮と白蓮てぱっと見似てますよね。
※「マニ教」とはグノーシス主義の影響を受けた中東の貴族が、ユダヤ教・キリスト教・ゾロアスター教・仏教を混ぜてつくったカルト宗教です。
貴族にとって宗教は最強の武器ですね。
・1919年 ベルサイユ講話条約→第一次世界大戦における連合国とドイツ国の間で締結された講和条約。過酷な賠償金支払いと世界恐慌が重なり、ドイツ民衆の不満が爆発。ナチス党の台頭へ繋がりました。
・1905年 日露戦争を正式に終結させたニューハンプシャー州ポーツマスでの条約講和会議にロシア側セルゲイ・ヴィッテ伯爵の側近として同行しました。この時、戦後の調停を務めノーベル平和賞を受賞したのが、あの有名なセオドア・ルーズベルトです。ケルト系の血を引くフリーメイソン、第26代アメリカ合衆国大統領です。ユダヤ富豪ロスチャイルドがスポンサーの大統領でした。セオドア氏は日本を警戒する大の反日家。日本が勝利したにも関わらず、ロシアに賠償金を課さないなど出来る限りロシア有利な条約締結に務めました。フリーメイソン第32代アメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルトはセオドア氏の親戚です。フランクリン氏の側近、デビッド・ナイルズ(アシュケナージユダヤ人)はシオニズム運動員の1人としてイスラエル建国に尽力しました。
ケルト系民族のエミール・ジョセフ・ディロン氏は上記の通り数々の重大事件の報道や何故かロシアで重大なお仕事を任されたりなどした後、故郷のアイルランドではなく、スペインのバルセロナで亡くなりました。
それでは、ディロン氏のお友達、セルゲイ・ヴィッテ伯爵とはどのような人なのでしょうか。
〈セルゲイ・ヴィッテ伯爵〉
ロシア帝国コーカサス副王領ティフリス(現グルジアのトビリシ)出身。トビリシといえば、ジョージアガイドストーンがあったアメリカ・ジョージア州アトランタと姉妹都市ですね。そして、なんとあのグノーシス主義な神智学協会の祖、ブラヴァツキー夫人は従姉です。大学時代には18歳年上のブラヴァツキー夫人と交流していました。一体何を教えられていたのでしょうか。神智学協会はスターリンを支援していたという話もありますね。
スターリンの故国グルジア
— デラシネ (@9393lIl9393) March 28, 2023
グルジアとウクライナの密接な関係
バスク スペイン ロシアhttps://t.co/hoxCOigISB
セルゲイ・ヴィッテ伯爵はロシア帝国で運輸大臣や大蔵大臣、初代首相などを務めました。貴族たちを政治の場から徐々に締め出して資本家や実業家に交替させていくことによって政治・経済の両面から近代化を進め、英仏などのような資本主義へと移行していくべきであるという考え方に立っていました。また、極東で台頭してくる日本と弱っていく一方の清国のどちらを将来パートナーとすべきかという問題ではニコライ2世と意見が対立。ニコライ2世は日本との友好を維持すべきとの見解でしたが、セルゲイ・ヴィッテは逆の意見を押し通しました。その結果、日英同盟が結ばれ、日本との関係は悪化の一途を辿り、ついに日露戦争が勃発するのでした。あちこちに罠を仕掛けて思惑通りといった所でしょうか。
日露戦争の最中の1905年1月22日、ロシア革命シリーズの第一弾とも呼ぶべき「血の日曜日事件」が起こりました。ヴィッテはこの時、デモを扇動していたロシア正教会の神父ゲオルギー・ガボンに大金を持たせて、こっそり西ヨーロッパ(スイス、イギリスなど)へ逃亡させています。逃亡先では、ユダヤ人のウラジーミル・レーニンなど社会主義革命家らと会っています。その後、この事件に対する抗議のストライキはロシアの主要都市において波状的に繰り返され、やがてロシア革命へと至りました。
ゲオルギー・ガボン神父
ガボン神父は革命仲間らから秘密警察との二重スパイを疑われていましたが、本当は、ロシア正教会で出会ったであろうエミール・ジョセフ・ディロンを通してセルゲイ・ヴィッテ伯爵の駒として動いていたのだろうと思います。仄見えるケルト系民族と神智学協会の革命運動。そして暗躍するユダヤ人組織。ソ連建国といえばユダヤ人ばかり注目され勝ちですが、ケルトと神智学協会を隠したいのでしょうか?全て計算づくで世界を破壊しながら旨い汁を吸ってるようにみえます。凄い組織力ですね。
現在、ロシア正教会のトップは元KGBの方ですので、宗教組織というのはスパイ活動の隠れ蓑という重要な役割があるのでしょうか。
〈ケルトの惜敗を象徴するリムリック条約の石碑1691年〉
何故ここまで隠密に、かつ、激しい極左運動を情熱的に続けるのか。その答えはリムリック条約にあるのかもしれません。
ケルト系民族、アイルランドカトリックのスチュアート朝ジェームズ2世を支えた、アイルランドカトリックのジャコバイト軍と、プロテスタントでゲルマン系ドイツ由来のオランダ人、ナッソー家ウィリアム3世のイギリス王位争奪戦争。ケルトvsゲルマン。
ジェームズ2世(スチュアート家)
ウィリアム3世(ナッソー家)
ウィリアム3世の嫁、メアリーはジェームズ2世の娘でした。プロテスタントに改宗済。
複雑に絡み合う宗教と民族、家族戦争。ユダヤ人金融富豪はプロテスタントのウィリアム3世にじゃんじゃん財政支援をしました。そしてジェームズ2世とジャコバイト軍は敗北を喫っしてしまいます。アイルランドカトリックなケルトの皆様におかれましては、「どこのどいつよ!!ドイツ人!?」という感じであった事でしょう。それからユダヤ人はイギリスの権力層にグイグイ食い込んでゆくのでした…。
ジャコバイト軍が最後に降伏した地がリムリックでした。勝者ウィリアム3世に、アイルランドカトリックの信仰の自由と地位の保障を認めさせる替わりに忠誠を誓う条約を結び、それを記念した石碑がリムリック条約の石碑です。しかし悲しくもその約束は反故にされたのでありました…。
アイルランド、リムリック県
リムリックの惜敗から約200年後の1919年。再びリムリックで波乱が巻き起こります。この記事の冒頭でちょっとお見せした、リムリック・ソビエトの建国です。ケルトの緑とカトリック十字架と槌鎌旗。
リムリック・ソビエトのメンバー
1919年4月14日から27日まで約2週間続いたアイルランド・リムリックのソビエト国家です。アイルランドカトリックを意識した左翼組織によるアイルランド独立運動です。ロシア革命に触発された形で槌鎌の旗までつくったようですが、本場ソ連は1922年に成立し、また、ソ連の赤い槌鎌旗は1923年に正式採用されてますので、随分と時代の最先端を走っていたのですね。お疲れ様でした。
〈槌鎌の始まりはいつなのか〉
ネットサーフィンしてみました。
「ハンマーと鎌の組み合わせは、もともと1895年のチリのプロレタリア闘争で使われたもの」だそうです。
この事件については検索してもよくわからなかったのですが、この↓チリ大統領一覧をみると翌年の1896年にバスク貴族一族(スペインからの移民)フェデリコ・エラズリス・エチャウレン氏が大統領になっています。
フェデリコ・エラズリス・エチャウレン大統領。バスク貴族。汚職にまみれていたようです。ちなみに前大統領はバスク人ではありませんでした。
チリの大統領といえば、独裁者ピノチェトが有名ですね。バスク人です。
バスクといえばイエズス会。ローマ教皇庁を影で操るバリバリのカトリック。バスク人が上流階級として利権を貪るチリが槌鎌の発祥だったというわけです。
バスク人と親戚関係のケルト人。ケルト人のドルイド教とキリスト教が融合されたケルト系キリスト教が元になっているアイルランドカトリック。そのアイルランドカトリックの守護聖人は3人。
・聖コルンバ→前回の記事でもご紹介したケルト系キリスト教の始祖。
・ブリギッド→アイルランドキリスト教の修道女。ケルト神話の火と金属と豊穣の女神、ブリギッドと同一視されます。女神ブリギッドの息子ゴブニュは鍛冶を司る神。魔法の槌を三振りするだけで完璧な武器を製造することができます。
槌で武器を製造するゴブニュ。ドルイドが儀式で使う大切な鎌も三振りでつくれます。
ヨハネの黙示録。手に鎌を持ったキリスト。
見よ。白い雲が起こり、その雲に人の子のような方が乗っておられた。頭には金の冠をかぶり、手には鋭いかまを持っておられた。
すると、もうひとりの御使いが聖所から出て来て、雲に乗っておられる方に向かって大声で叫んだ。「かまを入れて刈り取ってください。地の穀物は実ったので、取り入れる時が来ましたから。」
雲に乗っておられる方が、地にかまを入れると地は刈り取られた。
もうひとりの御使いが、天の聖所から出て来たが、この御使いも、鋭いかまを持っていた。
すると、火を支配する権威を持ったもうひとりの御使いが、祭壇から出て来て、鋭いかまを持つ御使いに大声で叫んで言った。「その鋭いかまを入れ、地のぶどうのふさを刈り集めよ。ぶどうはすでに熟しているのだから。」
そこで御使いは地にかまを入れ、地のぶどうを刈り集めて、神の激しい怒りの大きな酒ぶねに投げ入れた。
その酒ぶねは都の外で踏まれたが、血は、その酒ぶねから流れ出て、馬のくつわに届くほどになり、千六百スタディオンに広がった。
キリストによる善人の収穫と、火を支配する御使いによる悪人の刈り取りです。
ケルト神話、火と金属と豊穣の女神、ブリギッドによる異邦人への仕置。とも置き換えられるのではないかと陰謀論ファンタジスタとしてのこじつけです。
皆刈り取って燃やしてやるぜ
表向き、労働者と農民の団結と言われますが、果たして?……。
ヨハネの黙示録で有名なキリストの弟子、聖ヨハネはパレスチナにあるガリラヤ湖の漁師でした。どうやら裕福な網元でキリストに集会所など提供したりなど随分と協力されたのですね。
ガリラヤと聞けば、やはり思い浮かべるのはスペインのガリシア。バスク地方に程近いガリシアです。
キリストの弟子仲間である聖ヤコブもガリラヤの漁師でした。弟の聖ヨハネと共にキリストに従いヒスパニアで布教活動後、エルサレムに帰還してからヘロデ・アグリッパⅠ世によって断首され12使徒のうち最後の殉教者となりました。
その遺体を弟子2人が石の船に乗せ海を果てしなくさまよった末に辿り着き埋葬したのがスペイン北西端部ガリシア州サンティアゴ・デ・コンポステーラです。
サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂。キリスト12使徒である、聖ヤコブとサンティアゴ大王がここで眠ります。
ケルト十字
スペインで7月25日は非常に大切な祝日との事です。ガリシア民族の日であり、聖ヤコブの日であり、12使徒の1人、サンティアゴ大王の日であるからです。サンティアゴ大王は聖ヨハネの兄であり、やはり漁師でした。
イエス・キリストは漁師の弟子達にこう求められました。「人をとる漁師になれ」と。
なんだか物騒ですね。人を刈とってどうするのでしょうか?
2013年、前夜の7月24日に郊外のアングロイス地区で高速鉄道脱線事故が起きたため、すべての行事が中止されました。79人がお亡くなりになりました。まさか…祝いの生贄ではないですよね…。
ケルトエリアのスペイン、ガリシアのケルト語は、アイルランド、スコットランド、マン島と同じQケルト語です。
なんだか、これまでのブログ記事の印象で、ケルトやバスクやユダヤの皆様を目の敵にしてるようですが、そうではありません。それぞれに自分達の民族を盛り立てようと努力し、無闇に多民族へ危害を加えようなど考えない人々もいます。
ですが、ケルト、バスク、ユダヤ、神智学協会などの宗教、秘密結社、左派政党のタッグがみられる時。最凶の力が発揮されているように思われるのです。
かつてリムリックの惜敗で煮え湯を飲まされたユダヤ組織と協力しあい、平然と同胞を蹴落とす状況も多々見受けられるので不気味なのです。
こんな凄い組織を相手にアーリア人ではない非力な日本国民はどうすればよいのか。政府、大企業などの特権階級に見放された状況でどうすれば良いのか。と、思われるかもしれませんが、もはやどうにか出来る状況ではなく、既に流浪の民と化している残酷な現実を受け止め、覚悟して生きていかなければならないと感じます。
日本国民一人一人が死をも厭わずカルト的に団結し、立ち向かうなら日本の生き残りの可能性もわずかながらあるかもしれませんが、私も含め、そこまで出来る人はいないと思います。
何より、日本国民の8割があのワクチンを無抵抗で受け入れてしまった時点で、更に言うなら、今だに騙された事に気が付かない人が大半である時点で、もうどうする事も出来ないのです。
とは言いますもののこのブログは趣味のこじつけ陰謀論ファンタジーですし、間違ってる事もあるかもしれませんので、あまり真に受けないで下さい。
それでは!
(^ω^)ノノ"🐸ノノ"