浮世水草社

無限無責任社員1名の公開結社です

思い込みが英雄を産む〘光の輝きは嘘や悪を包み込む〙

ヒーローというのはキラキラ光輝いていて、見ている方としてはどうしても、都合の悪い部分や影の部分から目を逸らしてしまい勝ちです。

そういう間違った思い込みがヒーロー神話を拡大させます。本当は影の部分が重要なのに。

1976年放映の「ザ・カゲスター」は、光輝く太陽光から生み出される「影」がヒーローという斬新な設定でした。

カッコいいぞ!デコバイ。スーツアクターさんは、あの伝説の中村文弥氏です。

 

Qアノン神話のヒーロー、トランプ元大統領とトランプタワー。

昔々、NYのトランプタワーには沢山のロシアマフィアが暮らしておりました。皆で仲良く汗水垂らしてギャンブル商売やマネロン仕事に励んでおりました。そんなある日…(以下省略)

トランプさんもね、ガーシーさんもね、逮捕されない事を心より祈っております。使い捨てられておしまいなんて悲しすぎますから。

 

というわけで、おふざけはここまで。

今回は、「もしかしたらこの人も英雄もどきだったのでは?」と思わせてくれる方にフォーカスを当て、陰謀論ファンタジーしてみたいと思います。ソ連スパイ、KGBロシア正教会共産主義ユダヤ人などキーワード盛り沢山、前回の記事の続編的意味合いもあります。

 

 

「日本のシンドラー杉原千畝氏の光と影…。

 

ロシア語が堪能で、ソ連情勢に詳しく、若くしてソ連のエキスパートとして外務省内で頭角をあらわしていた人でした。

千畝氏が33歳の時、ソ連との北満洲鉄道譲渡交渉を担当します。ソ連側当初要求額の6億2,500万円を1億4,000万円にまで値下げさせ、外交的勝利を収めました。素晴らしい外交手腕ですね。

この満州赴任時代の24歳の時、ロシア人のクラウディア・セミョーノヴナ・アポロノワと結婚。ロシア正教会で洗礼をうけました。洗礼名はパヴロフ・セルゲイヴィッチ。そして、35歳で離婚しました。

36歳の時、日露漁業交渉の通訳官としてペトロパブロスクに着任、半年後モスクワ日本大使館二等通訳官に任命されます。幸子夫人と再婚。

37歳の時、ソ連から「ペルソナ・ノン・グラータ」として出禁を食らってしまいます。

その後、リトアニアの在カウナス領事館・領事代理だった40歳の時、第二次世界大戦中、6000人ものユダヤ人に命のビザを発給し、救いました。

「大したことをしたわけじゃない。当然のことをしただけです。」

 

…そう、この頃、ナチスドイツから日本政府へ「上海で匿っているユダヤ人を古い船に乗せて、沖合で沈めよ。」と要請が来ていましたが、日本政府はその要請をつっぱねています。日本はナチスドイツと同盟はしても、国策としてユダヤ人を守る方針だったのです。

ですから、千畝氏は単純に国の方針に従っただけなのだと考えられます。

 

 

以下『』内は記事からの引用です。

 2017年12月05日、ロシア国立人文大 イリヤ・アルトマン教授の記者会見。

『アルトマン氏は、ソ連外務省の公文書などから、ソ連が通過ビザを発給していた事実をつきとめた。ソ連のビザ発給について、同氏は「一番大きな理由は現金収入。多数の難民から徴収したビザ発給代は総額50万ドルになり、当時としては大きな額となった。さらに、多数のユダヤ人難民を領土内にとどめておくには費用もかかり、早く出国してもらいたい意向もあった」と説明した。』

ソ連は大儲けしたのですね。

『アルトマン氏は、当時のソ連ユダヤ人の通過を認めた理由の第一に外貨獲得を挙げる一方、ユダヤ人らがソ連の秘密警察NKVD(内務人民委員部、のちのKGB)からエージェントになるよう説得されていたと指摘。ユダヤ人にビザを出さなかった米国の駐ソ大使が「彼らの20%がソ連工作員になったからだ」との電報を本国に送っていたことを紹介しつつ、「工作員にされたのはもっと多いだろう」と歴史の暗部に言及した。』

儲けとスパイ要員獲得の一石二鳥。悪い奴らは商売上手ですね。

 

 

以下『』内は記事からの引用です。

 アシュケナージユダヤ人のベン・アミー・シロニー教授著『日本の強さの秘密』からの一節を発見しました。このブロガーの方へ感謝します!大統領!

『美談の裏側に信じられない本質の顔が潜んでいた。

杉原の未亡人は「外務省の指示に反してヴィザを発行し、それによって自分の身とその立場を危険にさらした」などと証言し、その妻が書いた伝記では「戦後、外務省から罰せられ、解雇された」と叙述されていた。

これらが事実に反することは既に多くの研究によって明るみにでている。

杉原は、外務省の指示にしたがってヴィザを発給したし、その後も彼は外務省内で出世階段を駆け上がった。ましてユダヤ人を人道的に救援することは当時の日本の国策であり、トップの決定は東条英機、土肥原将軍らである。』

 

英雄として祭り上げ眩しくキラキラさせておけば、都合の悪い部分は見えなくなります。

 

『「杉原氏が1939年にリトアニアに送られたのは、ヨーロッパにおけるドイツとソ連の軍隊の動きを偵察し潜入調査して、日本政府に報告することであった。スターリンヒトラーの間の不可侵条約の継続は、ロシア人の東に日本に対する攻撃を可能にするものであ」り、そのうえ「日本の軍隊をソ連との国境から東南アジアへと移動させることを可能にした」

これが事態の背景である。そのうえ、同教授は書いていないが、当時に日本の知識人にはコミンテルンシンパがやまのようにいた。

或る研究に拠れば、杉原氏はリトアニアポーランドの地下組織と接触し、情報を得たのだが、それと引き替えに「日本の商用パスポートを与え、日本の外交郵便を使って彼らの郵便物をロンドンにあるポーランド亡命政権に移送していた」

その経緯にあって杉原はヴィザを亡命希望のユダヤ人に発給し続け、その行為にドイツは反対しなかった。当時、反対したのは英国だけだった。』

 

外交官というのは、どこの国でもスパイですからね。ちなみに英米独が何故、大量のユダヤ人達を消し去ろうとしていたのかは、いずれ書きたいと思います。

 

『だから杉原の行為は「人道的に素晴らしい行為」だがと前置きしつつもシロニー教授は「英雄視する必要はない」と言う。

「もし外務省の指示に反しての行為なら、杉原は「すぐに解雇されるか、または日本に送還され刑務所送りになっただろう(ドイツやソ連だったら、殺されていたに違いない)」。

 ところが、逆に杉原はその後、プラハ領事館に勤務し、1942年には公使としてブカレストへ赴任するのである。

赤軍によってブカレストが占領されると、杉原氏とその家族はロシアの捕虜となった」。

捕虜生活の時間は謎のまま、1947年に帰国したが、米軍の占領下にあって、外務省そのものがなくなっていた。

 だから解雇ではないのである。』

 

嘘をついてでも輝かせたいものがある。

 

『「戦時中に『枢軸国』の諜報員だった杉原氏のような人物はいわずもがな(中略)、ミステリアスな側面は「ソ連との特別な繋がり」である。彼はロシア語に通じており、ソ連専門家であったばかりか、

ロシア正教会に改宗し、一時的にではあるがセルゲイ・パブロヴィッチというロシア名まで名乗り、クラウディアというロシア人女性とハルビンで結婚し、彼女とは十一年間を共に暮らした」のだ。

この衝撃の人生の軌跡はほとんど語られていない。

だからロシアの捕虜となっても、杉原は特別待遇を受け、はやくも1946年に釈放された。にも関わらず釈放から数ヶ月間も杉原氏は日本に帰国しないで、ロシア国内を旅行している。

 あまつさえ、杉原は1960年代に「モスクワへ移住し、そこで十五年間、日本のビジネスマンとして働くという、冷戦時代には非常に稀な生き方をしている。杉原氏は二重スパイだったのだろうか?」』

 

杉原千畝氏のWikipediaの年表では1947年から1981年の間がごっそり抜けています。冷戦時の活動は余程伏せたいのかなと勘ぐってしまいます。

 

 

 1985年に、杉原千畝氏をたたえてエルサレム近郊のベイトシェメシュに植樹された約400本の木と、設置された記念碑。

気がついたら全部無くなっていたという嘘みたいな記事 笑。

宅地開発されてしまったようです。

やっつけ仕事は脇が甘いようで…。

 

それでは今回のおまけ。Qアノン神話のインフルエンサーさんのツイから。

 これはCIA右派系統の信者さん(工作員)ですね。

CIA(OSS)を警戒していたハーバート・フーヴァー元大統領を貶める為に、お仲間で敵役のCIA左派梅田大統領と同列にしています 笑。

余程フーヴァー元大統領が忌々しいのでしょうか、滅茶苦茶過ぎて尻尾が出ちゃってますね。

フーヴァー元大統領とトランプ元大統領を同列に英雄視している人もいますが、それも違います。

 

 成る程、大紀元とか法輪功との噂のある人か。CIA右派グループ大杉パネェですね。

Qアノン信者さん(工作員)達が好きなホワイトハット画像。正恩さんとか近平さんとかいるのすごい違和感なんですけど 笑。BRICs仲間ですね。

NATO vs BRICsのプロレス試合。

 ユダヤ人コンビのキッシンジャー氏と娘婿のクシュナー氏。その影にチャイナロビー、ロシアゲート。CIA右派CIA左派混ぜ混ぜグルグル。光役と影役、仲良くケンカしてる内にNWOでフィニッシュです。

 

皆、頑張って仕事してるんだなぁ。

私もブログ更新頑張ろう!金にならないけど 笑。

それでは!