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(^ω^)丿丿"🐸丿丿"遊っぼぅ〜よ陰謀論♪
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世界各国から一帯一路政策へのクレームが相次ぎ、経済大崩壊真っ只中の中国。調べてみたら激アツで大変興味深かかったので、更新させて頂く事にしました。お陰様で夏休みはありませんでしたが、夏だから夏休みの自由研究気分でコツコツ下書きしていたらあっという間に10月になり、気付けば万博も終わっていました。(^ω^)丿"🐸丿"テヘケロ
長過ぎてエラーが出るようになりましたので前編、中編、後編に分けさせて頂き、3篇同時に提出する予定でしたが後編がまだ下書き段階ですので、前編中編だけ先に提出させて頂きます。高市新総理誕生(?)までに間に合わせるつもりでしたが、申し訳ありません。
今回もネット上に転がる情報のツギハギであり、テキトーな妄想陰謀論ですので、あまり真に受けないで頂けるとこれ幸いでございます。
中国五大戦区です。北部戦区は、いわゆる上海閥が牽引する女真族(満州族)エリア。北朝鮮と親密な戦区。西部戦区は新疆ウイグルやチベットなどを抱える弾圧エリア。インド戦略的に重要な戦区。中部戦区は中共権力のお膝元、北京や天津ドーンや習近平派の陝西閥のある陝西省などの首都エリア。東部戦区は上海や中国のシリコンバレー浙江や、客家の多い福建など中国経済を牽引する第二首都エリア。(いわゆる上海閥は上海で実力をつけましたが、実際に権力を握っているエリアは女真族エリアの北部戦区です。)南部戦区は、中共の父毛沢東や、天安門事件のきっかけとなった民主化の父胡耀邦(客家)の故郷である湖南省や、客家の多い広東や海南を抱えるエリア。
いずれ中国で内戦が起こり、これら五大戦区ごとに分裂するのではないかとも言われています。
とはいえ、中国共産党体制はまだしばらく続くと思われます。最近、習近平氏の失脚の噂が出回り、ポスト習近平として話題になった方や有力者な方など、共青団派・習近平派・上海閥の各派閥から数名勝手にノミネートさせて頂きました。皆様はどのおじ様がお好みですか?ぱっと見、全員同一人物に見えてしまいますが、別キャラです。それでは目を凝らしてよく見ていきましょう。
まずは胡錦濤派の共青団派(団派)から。左、胡春華氏。15才で北京大学に入学した天才。胡錦濤氏のお気に入り。ポスト習近平の最有力候補。62才。右上、陳吉寧氏。清華大学卒、インペリアル・カレッジ・ロンドン卒の理系の秀才。61才。右下、汪洋氏。言論の自由に寛容的で、アメリカとの経済関係を重視しています。ソフト路線な方。70才。汪洋氏も胡春華氏の補佐役として有力視されているようです。優しいおじ様のようで、習近平の処分は穏便ソフトに済ませようとの考えでしたが、それが後述するゴリゴリの軍人、張又侠氏の逆鱗に触れてしまいました。張又侠氏は徹底的習近平派排除のハード路線な方です。
次は習近平派。左、有力福建客家一族の蔡奇氏。習近平氏の最側近であり、有力福建客家人脈と習近平氏を繋げる黒幕とも囁かれます。若い頃には習近平氏と派手に女遊びを繰り広げていたそうです。中共のプロパガンダ機関紙、人民日報は、今だにこの方の支配下にあるとの事。今より若い時のお写真ですがやはり、客家だけあって目鼻立ちがハッキリしてらっしゃいます。69才。右上、丁薛祥氏。イエズス会系の復旦大学卒。機械工学研究者。62才。右下、張又侠氏。習近平氏の幼なじみでゴリゴリの軍人。最近になって習近平氏に対して反旗を翻しました。団派や上海閥と手を組んだのではないかとも言われます。75才。軍部人脈に弱い習近平氏が手こずっていた、中国五大戦区を全て一挙に手中に収めてしまいました。優しい汪洋氏とは水と油の手厳しいハード路線。まぁ、あの大陸ではハード路線でないと生き残れないし、そうでなければ雑多な民族を治められないと思います。この方が有力ポスト習近平かもしれないとも言われていますが、そうなると軍事独裁国家になりそうですね。
最後に、最近劣勢と言われていた上海閥メンバーの国家副主席韓正氏。昨年にはプーチン氏と会談。今年のトランプ大統領就任式には、失脚の噂の絶えない習近平氏の代理で出席。ポストトランプと言われるバンス副大統領と会談しました。トランプ側からは、客家の蔡奇氏の来訪を所望していましたが、ここは上海閥が割り込んでド根性を見せつけてきました。イエズス会系の復旦大学卒。71才。
最近劣勢の上海閥ですが、ついに、上海閥の重鎮が沈黙を破って出てまいりました。
↑通常なら8月に開催されるはずの四中全会が10月に延期になりました。
↓8月9日。ついに天安門で張又侠氏率いる82軍と習近平派率いる特勤局が激突。多数の死傷者が出たようです。張又侠氏が勝ちました。このまま張又侠氏が勝ち抜けるのか。それとも習近平派が巻返すのか。ハード路線の張又侠氏と女真族系(満州)の上海閥と共青団派は手を組み習近平を追い出すのか。日々情報が錯綜しており、目まぐるしく情勢が変化しております。
今後の展開から目が離せない状態となってまいりました。
日本の八咫烏組織にも食い込んでいると言われる客家や女真族。八咫烏が日本を守っていない事は、皆様も常日頃、肌身に感じているのではないでしょうか。守っていないどころか、日本を食い物にしているのではないかとすら思われます。
今回の前編では、古代からの極東アジア権力構造を、日本を基本として簡単に追ってみたいと思います。歴史とは、政治の積み重ねでございます。
〈 目 次 〉
- 物部氏から新羅へのつながり
- 白村江の戦いと太宰都督府古址の意味
- 藤原不比等の逆襲
- 出自不詳の徳川氏
- 新羅から女真族へのつながり
- 大日本帝国陸軍と大日本帝国海軍の対立
- 物部・新羅派閥の源氏三兄弟
- 参考にさせて頂いた記事
物部氏から新羅へのつながり
申し訳ありません。まずはここから始めなければ納得できないと思いました。以前、当ブログにて物部氏をテーマにした記事の中で、古代朝鮮半島の新羅は物部氏が建国したのではないかと妄想しました。それを補足します。
丹波の籠神社には、「古代、この地から一人の日本人が新羅に渡って王様になった。」との伝説が残されています。古代から現代まで、海部氏が丹後一宮の籠神社の宮司を代々務めています。海部氏は物部氏の中の祭祀を一手に行ってきた一族であり、同族であると考えられています。ですから、日本を旅立ち新羅を建国したのは、祭祀の海部氏ではなく、軍事集団である物部氏なのではなかったかと妄想いたします。
海部氏として有名な方は、天安門事件後の中国共産党をおもいっきり全力で擁護し、江沢民を強力に援護した海部俊樹元総理がいらっしゃいますが、なんと、あの小野田寛郎さんも海部氏族なのだそうです。小野田家は宇賀部神社の宮司を代々務めているとの事。小野田家には「小野田家のルーツは、大分県の海部郡に渡来したアマ族を取りまとめる家系で、のちに和歌山に移住した」との口伝があるそうです。
本当は終戦を知っていたと、何かに怯えながら語ったという小野田さん。そりゃそうですよね。陸軍中野学校を出た程の人なんですから。
大戦中にフィリピン、ルバング島へ他2名の兵士と飛行機に乗って向かったわけですが、その時の事を手記の中でこう書かれていたとの記事を見た記憶があります。「他の2人は知らない、特別な使命が自分にはある」と。それがどんな使命であるかまでは書かれていなかったと。
一説には、日本陸軍の隠し財産を守っていたとの話がありますね。小野田さん帰国後に笹川良一が日本人観光客向けのリゾート開発と称して重機を持ち込み、大規模に掘削しましたが結果は非公開だそうです。埋蔵金はしっかり回収されたのでしょうか。
古代からの血脈が国民の目を欺いて、裏で何をやっているのだかわかったもんじゃありません。
常々、陸軍中野学校は物部氏学校なのではないかと思っていましたが、腑に落ちる思いです。
それでは、新羅を建国した物部氏とは誰であったのか。新撰姓氏録では神武天皇の兄の稲飯命であると記述されているようです。大和朝廷(天皇家)の祖である神武天皇の兄が新羅建国との事に激しい違和感を持っておりましたが、答えはネット上に溢れておりました。
神武天皇というのは、藤原不比等による創作で、架空の人物です。
記紀神話では神武天皇には3人の兄がいた事になっています。長男の五瀬命、次男の稲飯命、三男の三毛入野命です。この3人の兄はなんと物部氏。物部氏は徐福と一緒に日本へやって来た一団とも徐福の子孫とも言われます。秦氏と同族ですね。中国大陸での戦闘技術のある物部三兄弟が物部軍団を率い、東征を果たしたのです。激しい戦で長男の五瀬は戦死。次男の稲飯は後に新羅を建国し、脱解王となり、三男の三毛入野は後に日本初代天皇である天叢雲となったという説があります。天叢雲の子孫が、物部氏と同族の、丹波の海部氏や尾張氏へ繋がるそうです。
軍事家系だけに、なかなか根性のある兄弟ですね。中国大陸の騎馬民族のほとんどは匈奴の影響を受けているとの事なので、匈奴系の氏族だったのでしょうか?新羅三大王族の朴氏・昔氏はおそらく物部氏。金氏は匈奴です。やはり物部氏も匈奴系の大陸騎馬民族だったのかもしれません。物部氏も匈奴もケルト的要素がありますから。
記紀神話では、架空の神武天皇を四男として付け加え、三兄弟の手柄を、神武東征や神武天皇即位としてすり替えて、大和朝廷万世一系を演出しました。神武を長男ではなく末っ子としている所が、改竄の後ろめたさを感じさせてくれます。
初代天皇が天叢雲である証拠に、天皇家の三種の神器の一つである剣の正式名称を天叢雲剣と言います。草薙の剣という偽名称を広めて誤魔化しています。秦氏の粗、徐福と古代に関係していると思しき物部氏から天皇の権利が百済派ヤマト朝廷の皇室に移されています。秦氏は新羅派、百済派両建てに見えますが、両建てと言うより両方をあやつっているのでしょうか。
物部稲飯こと脱解王の5世孫の天之日矛は、あるとき、機嫌を損ねて日本へ逃亡した嫁を追って来日し、帰化しています。その時に持参した七種の宝物と、物部氏の祖である饒速日命が天神御祖から授けられた十種神宝の類似点が指摘されているようです。十種神宝を授けた天神御祖とは現在では天照大御神ではないかとされていますが、私は、記紀神話に存在を握りつぶされた卑弥呼から授けられたのではないかと妄想します。
天之日矛は逃げた愛妻と再会出来なかったようで、物部氏一族の多遅摩氏族から嫁を貰いました。
新羅の王子、天之日矛の七種の宝物は出石神社へ奉納されました。後に、天之日矛の曾孫である但馬清彦(但馬=多遅摩)は、宝物を見たいと言う親新羅派の垂仁天皇の求めに応じて七種の宝物を自らが携えて献上し、物部氏縁の石上神宮に収められました。
新羅派の垂仁天皇。垂仁天皇にまつわる話は、いくつか後述します。
天之日矛の子孫の但馬清彦のそのまた子孫は三韓征伐の神功皇后です。
神功皇后は、三韓征伐にあたって、軍に婦女暴行、略奪を固く禁じました。新羅への愛を感じますね。手始めに新羅を攻めはしましたが、交戦無しですぐに新羅は降伏。それを見た高句麗や百済もすぐに降伏。日本が親なんだからね!生意気すんなよ!というしつけだったのでしょうか。無事に朝鮮半島三国を倭国の従属国とする事が出来ました。
あの大戦があるまでは。
白村江の戦いと太宰都督府古址の意味
大宰府政庁跡の都督府古址。この写真をどうしても自分で撮りたく、昨年秋、わざわざ福岡まで行きました。あいにくの雨天で足元ザバザバでしたが、そんな事はどうでも良く、この不気味な石碑を確かにこの目に焼き付ける事ができました。
白村江の戦い前後については書きかけの下書きがあり、いつか上げる予定ですが、今回はかいつまんで先にネタバレしておこうと思います。
現在に至るまで日本に禍根を残し続ける日本初の国際大戦であった白村江の戦い。第二次世界大戦と同様に最大級の敗北でした。
・天武天皇の即位前の名は大海人皇子。物部・新羅派閥の海部一族が皇子の幼少期の教育を担った事に由来します。
・中臣鎌足は百済派の天智天皇の最側近でしたが、中臣氏は、かつて物部氏と一緒に蘇我氏の仏教導入に抵抗していた隠れ新羅派閥と思われます。百済派に改心したふりをして天智天皇を欺いていた可能性があります。
・人質として長年日本に滞在していた百済の王子扶余豊璋は、多氏から嫁を娶りました。多氏は、物部氏や海部氏と縁が深い氏族です。
・新羅の金春秋(武烈王)が金多遂を伴って、白村江の戦いの13年前に人質として来日。イケメンで堂々として笑顔が素敵な金春秋は、現代で言えば韓流スター来日ばりの歓待を受けましたが、その約半年後には日本を出国し、すぐさま唐へ渡り唐・新羅同盟を成立させました。金多遂には出国の記録がありません。
金春秋(武烈王)
政治的事情もあったようですが、扶余豊璋が何年も人質になっていたのに比べ、金春秋がたった半年しか日本にいなかったとは不自然極まりない話です。しかも昔にしては驚きのスピードで唐・新羅同盟を成功させています。表向き人質として金春秋を日本に呼び寄せて周囲の目を欺き、物部新羅派閥の大海人皇子や中臣鎌足、多氏と謀議を図っていたのではないでしょうか。
金多遂に出国の記録が無い事から、天武天皇とすり替わった説がありますが、私は扶余豊璋とすり替わったのではないかと妄想します。あらかじめ豊璋の容貌や特徴が新羅に密告されており、よく似た金多遂を連れてきたというわけです。白村江の戦いで、偽者豊璋である金多遂を受入れた百済側は、長年日本に人質にされていた豊璋の顔など分からなかったはずです。これなら、唐・新羅連合軍を有利にするような、百済での豊璋の滅茶苦茶な振る舞いや、金多遂に出国の記録が無い事など、辻褄が合うと思いました。
ところで、ボロ負けした百済の将軍に黒歯常之という人がおりました。敗戦国の将軍であるにもかかわらず、不自然な事に、戦いの後に唐で将軍として受け入れられ活躍しています。彼には、勿部珣という女婿がおりました。倭系百済官僚の物部氏です。勿部珣は百済滅亡直前に百済を離れて唐に移住し、将軍となりました。この2人は唐・新羅連合のスパイだったのでしょうか。
2人の子孫がその後どうなったのかは分かりません。中国大陸の歴史の彼方へと消えていきました。
白村江の戦いでの百済滅亡後。何故か日本は唐・新羅に占領されなかった事になっていますが、そんなわけはありません。
百済滅亡後には熊津都督府が置かれ唐の植民地となり、高句麗滅亡後には安東都護府が置かれ唐の植民地となり、唐と同盟国であった新羅ですら鶏林州都督府が置かれ植民地となったのです。
上の写真。大宰府政庁跡の都督府古址の意味、薄々お分かり頂けたでしょうか。福岡の大庄屋高原善七郎という人物が明治4年にわざわざ自費で建立したのです。古い植民地の記憶など、消しておけば良いのに一体どういうつもりで建立したのでしょうか。
高原氏という姓の由来を検索してみました。物部塩児という人物が唐・朝鮮半島に派遣され、帰国した際に功績によって物部連を改めて韓国連を賜りましたが、名乗る度に渡来人かと皆が驚くので居住地に因んで高原の氏名へ改めるべく天皇へ言上し、許可されたと。
「いつか、我ら物部氏の手に日本を取り戻す!」という決意の碑なのでしょうか。今さらもうやめてよ。
藤原不比等の逆襲
物部守屋の息子と言われる朴井雄君や、物部氏と縁の深い多氏が、物部新羅派の天武天皇を強力に支援し、百済派の天智天皇派閥を撃退した壬申の乱。大海人皇子(天武天皇)の反乱とされていますが、白村江の戦い後に、おそらく太宰都督府が置かれた後の戦いなので、反乱というより占領の一環だったのかもしれません。唐側では、壬申の乱をもって、日本の国号が倭国から日本国に変更されたと認識していたようです。
天武天皇即位後の日本はしばらく物部新羅派となりますが、百済派の人物がこの状況を黙ってみているわけがありません。
その人物こそ、記紀神話の編纂に深く関わったと言われる、藤原不比等です。
なんと藤原不比等は百済派の天智天皇のご落胤であったようなのです。天智天皇が妊娠中の女御を鎌足に下げ渡す際、「生まれた子が男ならばそなたの子とし、女ならば朕のものとする」と誓約の言葉を言ったという伝説があります。常日頃から中臣鎌足の行動に不信感を持っていたから、爆弾を仕掛けるような事をしたのでしょう。
白村江の戦いの時、不比等は4歳。養父中臣鎌足逝去の時は10歳。天智天皇崩御と壬申の乱の時は13歳でした。中臣鎌足逝去からの3年間、百済派天智天皇からみっちり教育されたのかもしれません。
不比等は19歳の時に、物部氏や中臣氏と敵対していた蘇我氏の娘を娶り、急速に出世してゆきます。天武天皇の跡継ぎとされていた草壁皇子の側近となったのです。そして、天武天皇は百済派天智天皇の第2皇子、川島皇子に日本史の編纂を命じてしまいました。太宰都督府や物部新羅派閥の圧力の元、大人しくしていた百済派閥にとってまたとないビッグチャンスです。
不比等が側近を勤めた草壁皇子が即位する事はありませんでした。いや、させなかったのでしょう。草壁皇子は27歳で崩御しました。この時不比等は30歳。この頃になると、唐で契丹が反乱を起こしたり、白村江の戦いでブイブイ言わせていた則天武后の尻に敷かれた亭主で皇帝の高宗が崩御したり、唐は政情不安で太宰都督府どころではなくなっていました。
こうなれば、百済派閥のやりたい放題です。
天武天皇崩御後、百済派天智天皇皇子の川島皇子の妹で、天武天皇皇后の持統天皇がとりあえず即位します。
その後、百済派閥の悲願である逆転劇を完璧に達成したのは不比等の孫、藤原百川でした。それまで、新羅派の草壁皇子をこっそりと◯し、百済派の持統天皇(草壁皇子母)を擁立したり、草壁皇子の子供をちょっとだけ即位させたり、その後草壁皇子の嫁や姉を即位させたり、天武天皇系ぽい人を少しだけ天皇にしていましたが、藤原百川はついにやり遂げました。781年、百済派として完璧な桓武天皇を無理やり即位させたのです。
そして記紀神話の成立。712年成立の古事記は漢字と万葉仮名で書かれているので国内向けの広報書物。720年成立の日本書紀は漢文なので国外向けの広報書物です。
基本的に両方とも親百済で編纂されていますが、古事記は一味違うようです。稗田阿礼と共に古事記編纂を命じられた太安万侶は、物部氏と縁の深い多氏一族です。太安万侶は、物部守屋と同一視される建御名方神の伝説や、物部氏の伝説、物部守屋と縁の深い諏訪の伝説をこっそりと記述した事がバレて出雲の地に監禁幽閉されたと言います。
一方、日本書紀は、天之日矛の宝物を見たいと言った親新羅派の垂仁天皇以外の天皇全員を親百済派として記述しています。つまり対外的に日本は親百済なのだと宣言しているのです。
現上皇が天皇であった時の百済武寧王発言があります。今だに国外向けに親百済広報をするってどういう事なんでしょうか。日本書紀が国外向けに親百済広報した時点で百済は既に滅亡していました。現上皇の国外向け親百済武寧王発言の時は、百済滅亡から1300年程経過していました。どれだけテクノロジーなど発達しても、1300年程度では国内外問わず、血脈や派閥主義の基本的な権力構造が変わっていないという事なのでしょうか。
出自不詳の徳川氏
昔々、三河国の松平郷に、武勇に優れ和歌のセンスもある、謎に立派な好青年が現れました。青年は信濃国からやって来たと言います。領主の松平信重は青年を気に入り、婿養子として松平郷の跡継ぎといたしました。
青年の名は松平親氏。彼の7代孫は日本で天下を取りました。その孫とはあの大将軍、徳川家康公にあらせられます。めでたしめでたし。
三つ葉葵の御紋。
ケルトのシャムロック。
信濃国(長野県)といえば、物部氏や多氏と縁が深いお土地柄です。物部氏や新羅にケルト要素がある事は以前ブログ記事に書いた通りです。
松平親氏の養父、松平信重は1392年3月に逝去。そして、1392年8月に朝鮮半島にあの大国が爆誕いたしました。李氏朝鮮です。500年もの長きに渡り存続いたしました。
現在も北朝鮮にある徳川市。1413年、李氏朝鮮により析州から徳川へ改称されました。1566年、家康は松平から徳川へ改姓しました。大成功過ぎる背乗りですね。
豊臣秀吉は朝鮮出兵に徳川家康を頑なに参加させませんでした。家康が参加したいと言っても参加させませんでした。秀吉公は農民出身ではなく忍者出身です。家康の怪しげな系譜などの情報はとっくにつかんでいたと妄想します。
ちなみに朝鮮出兵では、加藤清正が勝手に北方の女真族の方まで攻め込んだり、薩摩の島津家(秦氏)が明国南京出身の張昂こと孫次郎を通訳兼スパイとして召し抱えていたりなど面白い話があります。昔の人って凄いですね。
豊臣秀吉は皇室を大切にしていましたが、徳川家は皇室破壊を目論んでいました。秀吉は朝鮮出兵し、李氏朝鮮を攻撃したのに、徳川家は李氏朝鮮からの朝鮮通信使を12回も招待しました。1回の費用は現在でいえば1000億円という大金で全て日本側の負担でした。わかりやすい対局ぶりですね。百済派から新羅派へ国家体制が戻ったのです。
江戸幕府の朱子学導入や、士農工商という固定的な身分制度や鎖国など、残念ながら全て李氏朝鮮の真似です。
幕末、新政府軍は江戸城への総攻撃を決定していましたが、物部氏族の勝海舟が間に入り穏便に無血開城が実現しました。
和風では無さ過ぎる日光東照宮。ギラギラしております。
太閤桐。
昨年夏、迎賓館赤坂離宮の見学をした際。解説員の方が「豊臣秀吉公は天皇家から下賜された五七の桐紋を使用していましたが、徳川家は賀茂氏なので葵紋を使用しますと言って、五七の桐紋の使用を断りました。」と、はっきり仰ってました。
↑巨大過ぎて1フレームに収まりきらず上手く撮れなかったので、宮殿の側面と噴水を一緒に涼しげな感じで上手く撮影できたものを置いときます。
かつて東宮御所として建てられた迎賓館赤坂離宮。昭和天皇と香淳皇后が新婚の数年間だけ過ごされ、満洲国皇帝溥儀が来日した際に使用されたりなどしましたが、あまりにも立派過ぎで経費もかさむし、天皇家のお荷物的存在でした。一国民として思うのは、やはりこのぐらいドーンとしたものを建てておいて下さって良かったです。国賓を招くのに、あんまり見すぼらしいと悲しくなりますから。
新羅から女真族へのつながり
新羅三大王族の朴氏・昔氏は物部氏。金氏は物部氏が引き入れた匈奴です。
新羅最後の王、金姓の敬順王は、朴姓の景哀王が後百済に殺害されると高麗への降伏を決定しました。妹や娘は高麗の王へ妃として差し出されました。
初代高麗王、王建の先祖は、唐の皇帝が新羅人女性に産ませた王帝建と言われます。高麗はモンゴル元王朝の支配下にされ、以後約80年間、高麗王の妃は代々、元王朝の王族ハーン家の娘でした。
高麗を滅ぼした李氏朝鮮の初代王の李成桂の先祖は、新羅で司空という役職についていた李翰という説や、女真族ともいわれます。李成桂の外兄弟が女真族の族長、三善三介であったとの事なので、女真族で確定かと思いますが、新羅の国名を出しておきたい事情があったのでしょうか。
女真族が清朝建国の前に建国した金朝の初代王、完顔阿骨打の先祖は函普と言われます。函普は女真族ですが、新羅に入国し、その後高麗に入国して暮らしたようです。朝鮮半島の様子でも覗っていたのでしょうか。
↑和白とは、大宰府政庁跡付近の地名です。新羅・モンゴル・女真族(満州)へとつながっていくという事でしょうか。愛新覚羅とは「新羅を愛し記憶する」の意味だという、韓国の歴史学者の見解も単なる与太話のようには感じられませんが、やはり妄想でしょうか。
清朝:1639年〜1962年
李氏朝鮮:1392年〜1897年
徳川幕府:1603年〜1867年
ケルトからスキタイへ。そしてスキタイから匈奴へ受け継がれた文化や騎馬戦術は、さらに、鮮卑(唐を建国)、突厥、柔然、契丹、女真(清朝を建国)、モンゴル(元を建国)へ引き継がれて行きました。
そして、朝鮮民主主義人民共和国の王族、金氏は新羅最後の王、敬順王の子孫である全州金氏です。白頭血統と呼ばせて呼ばれて、崇められています。
大日本帝国陸軍と大日本帝国海軍の対立
陸軍は長州藩。海軍は薩摩藩。派閥が違い、とにかく仲が悪い事で有名ですね。
226事件の時には、海軍が戦艦を東京湾に集結させ、国会議事堂に40センチ主砲の照準を合わせ一触即発な事態となったり、第二次世界大戦中には、海軍が陸軍を囮に使って全滅させ、手柄を上げるなど、日本は一体どこと戦争しているのやらわからない状態でした。世界大戦のどさくさに紛れて百済派と新羅派が殴り合っていたのだと思われます。以下に両軍の気になる有名どころを勝手にノミネートさせて頂きました。
〈海軍は百済派閥〉
・伏見宮博恭王:旧天皇家の海軍軍人。昭和天皇と共に、お気に入りの米内光政と山本五十六を強力にバックアップ。
・西郷従道:西郷隆盛の弟。菊池氏流西郷氏で、百済の第25代王・武寧王の流れを汲む、百済系渡来氏族とする系譜が存在します。
・山本権兵衛:禰寝氏。禰寝氏を遡ると建部氏。建部氏一族は、壬申の乱の時、百済派天智天皇側に付き、新羅派天武天皇側にボロ負けしました。
・東郷平八郎:東郷氏は桓武平氏の流派。桓武天皇の母は、百済武寧王の流れを汲む高野新笠です。
・山口多聞:宇治田原山口氏。関ヶ原の戦いでは豊臣側に付き、ボロ負けしました。
・米内光政:白村江の戦いで倭国水軍の大将の一人であった阿倍比羅夫を輩出した、奥州安倍氏を自称していました。実際は違います。盟友の山本五十六とはフリーメイソン仲間。ロシア駐在武官補佐官の経歴があり、ロシア語に堪能。ロシア革命に関する論文を執筆。親ソ連派。陸軍主導の防共、日独伊三国同盟には反対し続けていました。また、ドイツの仲介で行われた、日本と中華民国国民政府間のトラウトマン和平交渉に猛烈に反発。一方的に交渉を打ち切ってしまいました。これにより、日中戦争の拡大、果ては太平洋戦争にまで発展する事となりました。
・山本五十六:言わずと知れたフリーメイソンです。米内光政と同じく日独伊三国同盟には反対し続けていました。山本五十六は実家の高野家を出て山本家の養子となりました。高野家は宇津氏。宇津氏の祖は美濃土岐氏。美濃土岐氏の祖は源頼国で、藤原道長と強力に結び付いていました。藤原道長は藤原北家、藤原不比等の次男藤原房前を祖とする家系です。
「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば」 by藤原道長
フリーメイソンというのは、以前当ブログにて触れましたジョン・メイナード・ケインズ(ケンブリッジ大学使徒会)のように隠れ共産主義者の親ソ連派です。山本五十六と米内光政と元朝日新聞記者で共産主義者の風見章は頻繁に会合していたと言います。風見章の友達はゾルゲ事件で逮捕された朝日新聞記者の尾崎秀実です。
昭和天皇は、朝日新聞社にとても近い方でした。東京朝日新聞社論説委員だった前田多門の公職追放の軽減を求めたり、朝日新聞社社長の村山長挙と27回も会合し、これはマスメディア関係者の中で突出していたとの事です。また、毛沢東とは相思相愛でした。1972年9月、北京で日中共同声明に調印した田中角栄首相は、帰国の途につく際、客家と言われる周恩来総理にこう話しかけられたと言います。
「天皇陛下によろしく」
周氏のこの発言は毛沢東主席の意向を受けてのものでした。昭和天皇も1975年に『タイム』誌のインタビューで訪中を希望する事を語っておりました。中国の共産主義は客家エリアで成長しました。習近平の背後と同じく毛沢東の背後も客家です。しかも毛沢東の背後にはケルトカルト貴族でケンブリッジ大学使徒会(親ソ連派)のバートランド・ラッセルがおりました。
ですので天皇百済派海軍は共産主義毛沢東派であり、防共の日本陸軍と国民党を戦わせ、足を引っ張っていたのです。日本の百済派にとっても、漢民族毛沢東派にとっても、物部・新羅・女真族派の日本陸軍は目の上のたんこぶですから利害一致というわけです。百済派な現代日本に漢民族が蔓延っている理由がわかろうというものです。
明治とは、明王朝(漢民族)が治める(統治する)という意味なのでしょうか?
日本陸軍内に存在したソ連スパイの大元をたどると、米内光政や山本五十六などの海軍派にたどり着くかもしれません。
〈陸軍は物部・新羅派閥〉
・大山巌:父が西郷氏から大山氏へ婿養子として入りました。西郷隆盛と西郷従道は従兄弟。つまり母系大山氏。西南戦争では、士族反乱軍の西郷隆盛と敵対しました。大山氏は佐々木源氏です。ちなみに佐々木源氏と言えば新羅源氏。佐々木源氏一族は新羅派武田氏の家臣でしたが、武田家が滅んでからは盛岡藩士(南部藩)となりました。なぜ突然、西郷隆盛が反乱を起こしたかと言えば、新政府陸軍が物部・新羅派閥である事に反抗したかったのだと妄想すると腑に落ちます。
・東條英機:父は盛岡藩士(南部藩)の嫡男で、西南戦争に新政府陸軍として出兵しています。
・山縣有朋:長州藩士。清和源氏多田氏。南北朝時代には楠木正成率いる南朝側に付きました。楠木氏は伊予橘氏。伊予橘氏の祖は越智氏。越智氏の祖は物部氏です。
・伊藤博文:長州藩士。初代総理大臣。軍人ではなく政治家ですが、山縣有朋とは吉田松陰の松下村塾で共に学び、明治維新直後の奇兵隊で共に戦った陸軍派の人です。山縣有朋とは考え方の違いから対立する事か多かったものの、2人は大親友でした。西郷隆盛の征韓論(李氏朝鮮征服)に反対。先祖は物部氏支流の越智河野氏です。
・永田鉄山:日本陸軍内の統制派の中心人物と言われました。守矢家から永田家へ養子に入りました。守矢家とは守矢氏、物部守屋の後裔と言われます。満洲国の重要人物の一人です。
・板垣征四郎:満州事変や731部隊設立に関わりました。佐々木源氏です。先祖は武田氏滅亡後、南部氏に従い甲斐国から陸奥国糠部に移ったと言います。南部氏と武田氏は、新羅三郎こと源義光の後裔です。
・岩畔豪雄:全然有名ではないのに、超大物。汪兆銘政権樹立。陸軍中野学校設立。陸軍内に別班を設立。(今でも陸上自衛隊内に別班がある事はバレバレにバレています。数年前に三重県で訓練していた事が報道されてしまいました。現在の別班は米軍寄りとも言われます。)登戸研究所を設立し、生物兵器製造、凸版印刷や中国秘密結社青幇の協力のもと偽札製造、ばら撒き。昭和通商を設立し、アヘン商売で儲けを関東軍へ流す。大日本再生製紙を設立して、海軍閥の王子製紙と張り合う。島ケルトカルトの神智学イルミナティ連中が熱を上げていたインド独立工作に関わる。日米開戦回避に奔走も、フリーメイソン毛沢東派な百済派海軍山本五十六の八百長真珠湾攻撃によりおじゃんになる。戦後、ハル・ノートで有名なコーデル・ハルのはからいによりA級戦犯をまぬがれる。戦後処理の日米交渉に関わる。初期のフジサンケイグループのアドバイザーとして活躍。親しくしていた大陸ケルトのエドウィン・オールドファザー・ライシャワー氏(ライシャワー氏については以前ブログ記事に書きました。)とのやり取りのもと沖縄返還交渉にたずさわる。これだけ凄い経歴なのに、岩畔氏の詳しい血統がわかりませんでした。情報を外に出さないのですね。陸軍中野学校設立者の一族だけにさすがです。ですが、物部氏の匂いを微かに感じたのでした。
岩畔豪雄氏の出身地、倉橋島の名称の由来は物部氏と同族の倉橋部です。倉橋島に鎮座する、国の重要文化財に指定される桂濱神社は昔は八幡宮といい、明治四年から地名に基き桂浜神社と改号。宇佐神宮を勧請し、御祭神は、仲哀天皇(神功皇后の夫)、応神天皇(神功皇后の子)、神功皇后を祀っています。
倉橋島はかつて、白村江の戦いでの百済滅亡時、百済移民が沢山やって来ました。百済の職人による造船が盛んであったと言います。また、倉橋島は隣の江田島に海軍兵学校があり、百済派海軍閥の影響が強い島でもあります。岩畔氏は、陸軍ではなく海軍に入隊してもおかしくない状況でしたが、「なんとはなしに船に乗ることはあまり好きではない」という理由で、陸軍を志願したと言います。その後の陸軍でのケルトイルミナティの匂いも感じる大活躍を鑑みますに、しかも、岩畔家は倉橋島では名門との事であり、百済の影響を受ける前の物部・新羅派閥の家系だったのではないかと妄想いたします。「なんとはなしに」との発言には言葉にする事が許されない重いものを感じます。海軍に入っていたら満州に関わる事は出来ませんでした。学業はあまりふるわなかったようですが、物部・新羅派閥の天才は陸軍に入るよう運命付けられていたのだと推察します。
日本の百済派と新羅派の無駄な争いに、イルミナティフリーメイソンがつけ込んでいるように感じます。その結果、事態が拡大、複雑化しているのではないでしょうか。冗談じゃありませんよホントに。
〈海軍と陸軍の中間地点な一族〉
ところで、海軍と陸軍の狭間で怪しい動きをしていた一族があります。もしかしてスパイ一族?
・西園寺公望:フランス留学中にフリーメイソンに入会したのではないかと言われています。もしかすると、フリーメイソンの中でも一番どぎつい大陸ケルト+島ケルト+イエズス会のフランス大東社かもしれません。藤原不比等の次男直系の藤原北家、公家。第12代総理大臣。陸軍派の伊藤博文がお師匠ですが、海軍派のようでもあり、満州陸軍派のようでもある人です。海軍の米内光政や山本五十六と同じく日独伊三国同盟には反対し続けていました。山本五十六と交流があり、秘書原田氏の原田日記にも山本五十六の事が度々登場するとの事。山本の動向を気にしていたようです。ちゃんと言う事聞いているか気にしていたのでしょうか。そうかと思うと、満鉄の設立に関わったり、満鉄と日産の事業を結びつけたりしていました。
祖母が水戸徳川家出身です。水戸と言えば水戸光圀。「圀」という文字は、唐の則天武后が制定した則天文字の一つです。水戸光圀自身が「國」から「圀」へ改名しました。水戸光圀が編纂を命じた大日本史は260年後の明治時代に完成。南朝正統論を唱え、明治維新にも影響を与えたと言われます。物部氏系の楠木正成や、新田義貞を称え、徳川家も正統な南朝であると強調したかったようです。源義家(八幡太郎)後裔の新田氏が徳川家の祖であると自称していますが、徳川氏は賀茂氏なので違うと思います。
・西園寺八郎:陸軍派の長州藩主・公爵毛利元徳の八男として誕生。西園寺公望の養子となります。毛利氏は、物部氏や新羅と縁の深い出雲出身の土師氏が祖です。西園寺家と毛利家はかねてより婚姻関係にありました。宮内省東宮職御用掛であり、東宮侍従長ではないのに皇太子時代の昭和天皇の教育に異常に執着し物議を醸しました。
・西園寺公一:父は八郎。母は公望の私生児新子。イギリスのオックスフォード大学留学でマルクス主義者となります。その為(だけでは無いと思いますが)、宮内省も外務省も試験の結果不合格となりました。中国の秘密結社について研究したり、汪兆銘政権画策に参加したりなどしました。米内光政や山本五十六とお友達であった風見章や尾崎秀実とお友達となり、ゾルゲ事件で逮捕されます。戦後は中華人民共和国に渡り、中国共産党から大臣クラスの給料を受け取りながら滞在するも、文化大革命で日本へ追い返されてしまいました。息子の西園寺一晃は元朝日新聞社員で、その後は工学院大学内に設けられた孔子学院の学院長などを務めました。
・西園寺不二男:兄の公一が逮捕されたので跡継ぎになりました。日銀退職後は中小企業助成銀行(現・三井住友銀行)の頭取を勤めました。妻は、満州利権の弐キ参スケの一人である、日産コンツェルンの鮎川義介の娘です。鮎川義介は中小企業助成銀行の経営権を持っていました。上級国民裏山ですね。息子の西園寺裕夫の妻は、琉球王朝の子孫の西園寺昌美。旧姓五井昌美は大本教系で生長の家の分派とされる宗教団体白光真宏会の教祖五井昌久の養女でした。
イエズス会千利休のご子孫と微笑む西園寺昌美氏。世界平和というカルト利権に人生を捧げる上級国民です。
台座の銘文には、住友家15代友純の名があります。住友友純は西園寺公望の実弟です。住友家に養子に入りました。住友重機と言えば、かつて大日本帝国海軍の為に横須賀の浦賀で駆逐艦を造船してきた事で有名です。海軍閥企業なのに西園寺家の人間を入れてしまったが故におかしな事になったのでしょうか。↓
海軍系の住重は、30年程前から日本陸軍後継の陸上自衛隊の機関銃生産に携わってきました。それが2021年3月に突如、採算が合わないからやめると言い出します。皆がなんでかなぁと思っていた所、下請けが図面を中国に流していた事が発覚していたからとの事笑。西園寺系企業らしい失態(策略)ですね笑。
物部・新羅派閥の源氏三兄弟
源氏と言っても幅広く、百済派もいれば新羅派もいます。今回はわかりやすい新羅派である源頼義のご子息、三兄弟をご紹介します。
・長男:源義家。通称、八幡太郎。京都、石清水八幡宮で元服。八幡宮の総本社、宇佐神宮には新羅鐘と呼ばれる銅製の梵鐘があるので、物部・新羅派閥で確定です。
・三男:源義光。通称、新羅三郎。大津三井寺新羅善神堂で元服。武田氏や南部氏の粗。物部・新羅派閥で確定です。
・次男:源義綱。通称、賀茂次郎。京都、賀茂神社で元服。賀茂神社、加茂神社、鴨神社など全国に約300社あります。京都の上賀茂神社と下鴨神社が特に有名ですが、この両社は元々秦氏が祀る神社でしたが賀茂氏へ譲ったとの事。秦氏と賀茂氏は婚姻関係があり密接です。賀茂氏と言えば、葵紋や徳川家や八咫烏が有名です。徳川家は新羅派ですが、八咫烏は扶余の高句麗がルーツです。百済は高句麗から分かれた扶余の国ですし、新羅派なのか百済派なのかよくわからないのでネットサーフィンして簡単に図にしてみました。
天皇家や我々大多数の倭国民の祖は濊貊であります。濊貊は濊族と貊族の連合体です。大変に慎み深く欲の浅い民族であり原日本語を喋っていたといいます。
トルコ、メソポタミア、コーカサス地域にまたがり存在したウラルトゥ王国。
濊貊は、ノアの方舟で有名なアララト山周辺のウラルトゥ王国の民でした。アッシリアやスキタイによって滅ぼされ、東へ進み中国大陸で殷王朝を建国。殷王朝が周王朝に滅ぼされてからは、殷王の親戚が箕子朝鮮を建国。やがて濊貊は扶余となり、高句麗、百済、大和朝廷(現皇室)を建国しました。
また、殷王朝が周王朝に滅ぼされ、箕子朝鮮へ行かなかった濊貊は、秦王朝や匈奴へ逃げ込みました。秦の始皇帝の祖先は伯益という人物で、濊貊の中の貊族と思われます。伯益の子孫が殷の臣下となり、さらにその子孫が秦の始皇帝となったのです。そしてさらに、秦王朝が滅んでからその遺民は客家や秦氏となりました。客家と秦氏は同族です。客家は秦の始皇帝により中国大陸南方に派遣された兵士の遺民です。客家と秦氏は家の廻りに万里の長城のような砦を築く習慣があります。また、中国の客家人は日本語を習得するのに苦労しないと言います。それは客家語も日本語も、濊貊語、原日本語系だからです。最近の客家は残念ながら漢民族に押されて客家語を話せなくなっているようですが。
続きまして、匈奴に流れた濊貊についてですが、これが何度も申し上げている物部・新羅系であります。高貴な気高い濊貊が、言葉の異なる匈奴の影響を受け、粛慎・挹婁・勿吉・靺鞨・女真(満州族)と混血して行きます。さらにその後、李氏朝鮮となり、モンゴル人や漢民族とも混血し、現代の朝鮮人となってゆきます。近親相姦文化も相まって、現代の朝鮮人は言葉も精神も遺伝子も古代の高句麗・百済・新羅の三韓時代とは異なっているのです。
※粛慎が挹婁となり、挹婁が勿吉となり、勿吉が靺鞨となり、靺鞨が女真族となりました。
というわけで、八咫烏こと賀茂氏についてですが、やはり高句麗がキーワードになってまいります。ちなみに、高句麗の別名は貊です。日本では「高麗」と書いても「貊(狛)」と書いてもこまと読みます。
高句麗の壁画の三足烏。
高句麗の金メッキの三足烏。
ウラルトゥ王国の濊貊は、ギリシャ神話やエジプトの太陽神に仕える烏伝説や、メソポタミアを襲った大洪水とノアの方舟伝説の烏の話など、西方世界各地の烏伝説を携えて中国大陸へやって来たと思われます。中国大陸では、殷王朝の前の夏王朝が建国される前から太陽に住む三足烏の伝説がありました。三本の足は朝、昼、夜を表しているようです。
殷代には三足酒器など、多くの三足青銅器が作られました。三足烏の伝説に影響を受けていると思われます。そして三足烏は濊貊の後裔、扶余が建国した高句麗に伝わり、さらに扶余系倭国賀茂氏の八咫烏伝説となります。
白頭山から流れ出る鴨緑江。川の色が鴨の頭の色に似ている事からその名が付きました。唐代の書「翰苑」には、鴨緑江の名称は高句麗から出たと書かれているとの事。京都の賀茂氏が上流域を本拠地としている鴨川の名称も、八咫烏も、高句麗から持って来たのではないでしょうか。
天台宗の円仁が唐から持ち帰った摩多羅神を密かに信仰していた物部・新羅・女真族派の徳川家康。同じ朝鮮半島北部のよしみで、賀茂氏に混ぜてもらったのでしょうか?
扶余と新羅・女真族派が賀茂氏に合流している謎を解く鍵は高麗神社にあります。
高麗神社は、主祭神が高句麗王族の高麗若光。祭神が猿田彦命と武内宿禰命。猿田彦命は天孫族(現皇室)の道案内をした神です。神武天皇の道案内をした賀茂氏の八咫烏の話とそっくりですね。猿田彦命は物部氏の祖、饒速日命と同一視されます。武内宿禰命は蘇我氏の祖。蘇我高麗の名は高句麗を意味します。
賀茂氏の「KAMO」。高麗の「KOMA」。アナグラム。考古学的に言語の発音というのは関連性を紐解く一級の証拠のひとつとの事。高麗神社は賀茂神社であるという事です。アナグラム的に高句麗神社ではなく、高麗神社としなければならなかったのです。
数年前に訪れた高麗神社に鶴丸紋があって驚きました。JALを彷彿とさせます。
高句麗滅亡後、高句麗遺民と靺鞨が渤海を建国しました。渤海は「日本が好きだからまた来ました」と言って突然使節を何度も送って寄越し、日本側を困らせるような国でしたが、滅亡まで日本と良好な関係を築きました。高句麗遺民と靺鞨の混血が女真族です。
このように、八咫烏の賀茂氏は扶余百済派、物部・新羅女真族派、秦氏が混在する連合体であり、まさに今の日本を象徴する組織であります。日本は多民族国家です。日本を単一民族国家だと思って来日した外国人が、日本の人々の顔を見て単一民族ではない事に気付いて驚くと言いますから。我々日本人は、人それぞれ顔立ち身体つき性格が違うのは個性だと思っていますが、実は血が違うのです。
そして、濊貊の殷に一番近い秦氏が日本での実権を握り、後裔の百済派と新羅派を争わせて操っているのではないかと妄想いたします。日本の秦氏と極東アジアに散らばる客家はおそらく連携しています。客家にも派閥があるようですが、客家と秦氏は、一国集中ではなく極東アジア全体を見ていると思います。ザコ同士を争わせて両方潰し、天下を盗る。
ですから、どこの国の国民にも愛着など無いのです。彼らは、国ではなく世界ネットワークで生きていますから。
ちなみに円仁は、治安の悪化した末期の唐での生活や、命からがらの帰国の世話など、新羅人商人社会から多大なる支援を受けていました。帰国前には、新羅人が日本へ「円仁は生きている」と伝えてくれるなど、非常に良くして貰ったようです。このあたりの円仁の日記は先述の大陸ケルト、エドウィン・オールドファザー・ライシャワー氏が研究し、日本や欧米に広められました。ライシャワー氏の妻は、薩摩藩主島津氏(秦氏)の家臣松方氏の娘です。
白人の、それもケルトカルトが日本及び、中国、朝鮮の歴史を探っている事に、気味の悪さを感じます。
それでは、中編へ続きます。(^ω^)丿"🐸丿"
参考にさせて頂いた記事
https://pincong.rocks/question/47449
https://readyfor.jp/projects/f-urihakkyo/announcements/177998
ところで、皆が気になる